第十六話

「先ほどは、お見苦しいところをお目にかけてすみません」
 助手席に座った久賀は、すぐに雅季に詫びた。
「あの状況だと、誰でも場所を忘れて取り乱してしまうんじゃないでしょうか。特に身内のこととなると」
 熟れた雅季の模範解答に、久賀はほっとすると同時に寂しさを覚えた。
「でも、今一番辛いのは晴美ちゃんだと思うので。たぶん、永瀬歩が好きだったんでしょうね」
「おそらく」
「晴美ちゃん、永瀬のことを話すのは極力避けていましたし」
 やはり雅季は気づいていたか。そうだ。永瀬歩。久賀の腸が煮えくり返る。なぜもっと、注意してやらなかったんだろう。なぜ、あの男の話が出たときに突っ込んで聞かなかったのだろう。
 ふつふつと腹の底から沸き起こる怒りは、永瀬に対して、また自分にでもあった。
 あいつが未成年じゃなくてよかった。
 久賀にとってただそれだけが救いだった。永瀬歩が成人しているなら、この件も俺は容赦しない。
「どうして、晴美が……」
「そういうのは、どうしようもないんですよ。気をつけていたって、運が悪ければ悪魔に捕まってしまうんです」
「どうしてそんな簡単に言えるんですか!? 所詮人ごとですか!? 晴美はまだ十八ですよ! これからまだ……」
「私は九歳でした」
 久賀は、薄闇に浮かぶ雅季の白い横顔を見て、膝の上で拳を強く握った。フロントガラスの向こうでは、ヘッドライトの光の中で、粉雪が闇に舞っている。
「すみません。私が言いたかったのは晴美ちゃんと被害の大きさを比べるつもりではなくて、彼女は『もう十八』です。じゅうぶん自分で判断出来る年頃です。本人も言っていたじゃないですか『子供扱いしないで』と。大丈夫。本人は自分で立ち直れると思いますよ。いや、時間をかけてでも自分で立ち直るべきで、久賀さんが出たところで役に立たないばかりか、逆効果だと思います。同情とか、報復とか、とくに」
 雅季がナビにちらっと眼を向けた。目的地まであと六分。
 この事件が解決すれば、またしばらくは雅季に会うことはないだろう。一分一秒が今の久賀にとって、とてつもなく貴重に思えた。
「『自分ルール』っていいと思いますよ。ただ、それを人に押し付けると、疎ましいですよね」
「篠塚さんの自分ルールは『人に迷惑をかけない』、あたりですか?」
「正解です」
 雅季の口元がほころぶ。
「やっぱりわかっちゃいますか」
「ずっと見ているからわかります」
 彼女の、ハンドルを握る手に力がこもった。
「でも、こちらが押し付けなくても、周りにそれを読み取られるようだと、押しつけと変わらないですよ。だいたい、迷惑をかけないように生きるなんて、無理です。人は生まれたときから誰かに迷惑をかけ続けて生きているんですから」
 久賀の生意気にも聞こえる口上に、雅季がしっかり頷く。そんな素直な雅季が好きだ。
「私だって、それくらいわかります。だから、極力……」
「その篠塚さんの迷惑を全部、私が受けたいんですよ」
 久賀が畳み掛けると、相手は運転席で背を正した。
「玉置悟に関しては、どう追い込みを掛けましょうか?」
 話題を変えられた。当然か。
「追い込みと言っても、まだ何も……令状はおろか証拠すらありませんから。とにかく様子を見て、万が一スタジオに永瀬早紀がいれば、誘拐の容疑で引っ張れそうですね。そうでなければ、やはり、早急に令状を取るべきです」
「私としてはここは揺さぶりをかけておきたいところです。玉置は必ず尻尾を出すと思います」
「それは、かなり危険な賭けですよ」
 しばしの沈黙の後、雅季は言った。
「私には、久賀さんがついてますから」
 喜ぶな。彼女は現状を語っただけじゃないか。それもこんな時に。
 自分を叱責するが、座っている体がふわふわと落ち着かない。久賀はぐっと奥歯を強く噛み締めた。

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