女体化、とか。(前編)

 目が覚めると、高嶺俊(たかみね しゅん)は保健室のベッドの上だった。
 ぼんやりとした意識と視界の中になんとなく見覚えのある白い天井と消毒液の匂いが入り込んで来た時、その乏しい情報からでも、ここが学校の保健室だとわかった。
 上体を起こすと、ギシ、とベッドが軋んで音を立てる。
「なんだこれ……」
 なんだか額がスースーするので、手を当ててみると冷えピタが貼られていた。
 (あー、俺、倒れたんか)
 俊は、サッカー部の三年追い出し試合で、ヘディングした後頭部が同じく真後ろでジャンプしていた後輩の額に強く接触したのを思い出した。
「おう、起きたか」
 シャッと勢いよくクリーム色のカーテンが開き、養護教論の佐野浩二(さの こうじ)が声をかけた。
「よく寝やがって。俺、残業じゃねえか」
 俊がふと校庭に面した窓へ顔を向けると、外はすっかり夕日に染まっている。「カナカナカナ」とヒグラシの声が聞こえた。
「お前の後輩が部室から持ってきた荷物、ここにあるから」
 白衣を脱いでロッカーにしまう佐野は、後ろを振り向きもせずに言った。

 俊の高校には数年前から男女両方の養護教論がいる。
 ジェンダーフリーだの、トランスジェンダーだの騒がれる昨今、教育の場でもその影響があるらしい。
 男性養護教論の採用は、思春期の男子生徒が女性教論に相談しにくいこともあるだろう、という学校側の配慮もあるらしいのだが、曜日ごとの当番制で、佐野の担当の日に保健室に訪れるのは男子学生よりも女子学生の方が断然多かった。
 二十六歳、独身。180を余裕で超えているだろう高身長、細マッチョ、その上、歌って踊れるアイドル系の甘ったるい(チャラい)容姿。
 さらにオプションがメガネと白衣とくれば、腐女子どもが追い返されるまで保健室に入り浸っているのも頷ける。
 だが、そんな佐野の存在に、自他共に認める才貌両全、無病息災の俊の関心も接点も皆無だった。
 学年一の美女で、彼女の森村エリが、「佐野センセーってかっこいい」と口を滑らすまでは。
 俊はその瞬間、フルネームもすぐに浮かばない佐野を敵と認定した。
 その時エリは、俊の顔色をすぐに読み取り「……って、みんな言うけど……」とその場を取り繕ったが、後日、同じ学区内の男子高生と俊とを二股にかけていることが発覚し、それで責めると泣き出したので、即切った。
 捨て台詞が「佐野先生の方が全然大人だし、優しい」だ。
 なんだそれ。俺だって、身長180近いし、頭いーし、顔いーし。女なんかすぐにできるし。

 ベッドから降りて椅子の上にあったスポーツバッグを取った。
 制服に着替えるのは面倒だ。このままジャージで帰ろう。
 Tシャツの肩にスポーツバッグをリュックのようにかけ、出て行こうとする俊の背中に佐野が呼びかけた。
「お前、お礼とかねえの?」
「あ……。ありがとうございました」
 佐野が「しょうがねえやつ」と薄く笑った。それが俊の癇に障った。
 普段の自分なら、軽くスルーしていたはずだ。だが、すでに体が相手に向き直っていた。
「センセー、森村エリと、ヤッた?」
「誰それ」
 そうきたか。
「ヤっててもお前に言うかよ」
 そりゃそうだ。
「じゃあ、ヤッたんだ」
「JKに手を出すくらいなら死んだ方がマシ」
「ヤったんだ」
「お前、フラれた?」
 図星を突かれて、奥歯を噛んだ。
「俺、センセーのこと嫌いだし」
 やべえ、今、俺めちゃめちゃかっこ悪い。言うに事欠いてこれかよ。これじゃガキの喧嘩じゃん。
「お前、カッコわりー」
「は?」
 一瞬、相手が読心術でも出来るのかと、身構える俊の目の先で、相手は長い指で自分の額を指した。
 俊は額に手をやり、まだそこに貼り付いていた冷えピタを剥ぎ取った。
 顔が熱くなるのが、自分でもわかる。すっかり温くなったそれを、無意識に握り込んでいた。
「まあ、嫌いとか好きとか、どうでもいいけど」
 佐野は机に寄りかかり、偉そうに腕を組んだ。そうすると、グレーのTシャツに胸筋が目立つ。地味に威嚇すんな。
「学年一の美少女森村エリに振られた学年一のイケメンに、いいこと教えてやるな。えーと、森村エリのおっぱい、右の下乳にホクロが一つある」
 正解。真っ白になった頭の中に、黒々と文字が浮かんだ。
「やっぱ……ヤってんじゃん」
「それは違う」
 メガネを取って、奴は前髪を掻き上げた。すげえ悔しいけど、そんな佐野はかっこよかった。
 勝者の余裕ってやつか。
「『具合が悪い』とここに来た森村エリは、俺の前で制服を脱いでブラ取って、おっぱい持ち上げて誘って来た。俺は相手が傷つかないように、そして大声出されて人が来ないうちに『卒業後に俺から誘う』と優しい言葉をかけながら、制服を直してやって、ことなきを得た。だから、そんなビッチと別れてよかったね、高嶺俊くん」
 佐野は呆然と立ち尽くす俺の前に来て、ポンポンと頭を叩いた。 
「お前、運動部のくせに肌白いな。もともとなの? それとも、そんなショックだった?」
 少し屈んで顔を覗き込んで来た、佐野の肩を押し返した。これ、完全に馬鹿にされてるだろ。
 俊は勢いよく踵を返し、ドアを開けた。
 一歩外に出ると腕を掴まれた。抗おうとしても、強い力がそれを許さなかった。すかさず、手にプラスチックの容器を握らされた。
「これ、毎日飲んどけ。鉄分。お前、血の巡り悪そうだからさ。頭も良くなるぞ」
 俊はジャージのポケットに容器を突っ込むと、掴まれた手を振り払い、その場から逃げるように走り去った。
 
 *

 佐野にもらった鉄分サプリを飲み始めたら、確かに調子が良くなった。
 毎朝スッキリ起きられるし、部活を辞めてから日課にしているジョギングのタイムもいいし、受験勉強も捗る。
 最初は疑っていたが、一週間、二週間と飲むうちにその効果を目の当たりにして、白い錠剤を飲み続けていた。
 異変に気付いたのは三週間目だ。
 朝勃ちに勢いがない。受験勉強で疲れているのだと言い聞かせた。
 四週間目に入って、さすがにやばいと思い始めた。
 乳が出て来た。それもまだ小学生女児がスポーツブラを買うか買わないか迷い中、くらいの大きさだが、乳を下から(すく)うように手をあて、両端を「プニプニ」っと揉むくらいはできる。
 さらに、勃ちの悪いのも相変わらずで、その上、モノが小さくなっている気がする。俺の、自慢のビッグ・ジョンが。
 これはゼッテー佐野の薬のせいだ。佐野、の呪いだ。
 この間はあんな風に弁解してたけど、あいつエリとヤったんだ。
 でも『こんなちんぽじゃエリ、イケない。高嶺くんの方が全然すごかった』とかなんとか言われて、あいつしれっとした顔しながら、俺への復讐の機会をずっと狙ってたんだ。卑怯なやつ。
 佐野、ゼッテエ許せねえ。
 

「とりあえず診察するから、ベッドに行って、服脱いで」
 サプリメントを受け取った日から一ヶ月経った、ある放課後、俊が保健室に鼻息荒く抗議しに行くと、佐野は全く動じずに言った。
「はぁ?」
「体の変調がサプリのせいだとしても、症状見ないことにはなんともいえないだろ。それとも、医者行くか? どこだ? 内科か、泌尿器系? 婦人科……?」
 指折りする佐野の前を大股で通り過ぎ、俊は手前のベッドに座ると、乱暴にTシャツ、ジャージの下を脱いでトランクス一つになった。
 佐野が小さく肩をすくめ、丸椅子を持って来て向かいに座った。
 いつになく真剣な顔で俊の胸に聴診器を当てる。
 ささやかだが、目立つほどに膨らみかけた左胸にそれがひやりと接触した時、ばくばくと鳴る心臓の音が自分にも聞こえた気がした。
「ちょっと、心音乱れてるんじゃない?」
 口の端で笑われ、俊は相手を睨み返したが、せつな、胸を撫でられて体を跳ねさせた。
 大きな手で、胸の上で円を描くようにさわさわと撫でられると、妙なくすぐったさに声が出そうになり、ぐっと歯を食いしばった。
「これ、鍛えてる胸筋しては、柔らかいよね。じゃ、下診るから。パンツ、自分で脱ぐ? 俺が脱がす?」
「じ、自分で脱ぐし」
 部活の合宿で、部員達と風呂場で性器を見せあうことはなんでもないし、風呂上がりに姉がいきなり脱衣所に入って来てもなんとも思わない。
 でも、佐野のような普通の若い男ーーそれもかなりのセンでいい男の部類ーーに見られるのは、ものすごく恥ずかしい気がして、俊は下着に手をかけたまま一瞬ためらった。
「お前の性器見ても嬉しくねえよ。さっさと脱げ。それとも、やっぱり脱がされたいか」
 俊はやけくそでトランクスをくるぶしまで下げると、ベッドに仰向けになって天井を睨みつけた。
 校庭の方から、野球部員の掛け声が聞こえてくる。
「元々の大きさを知らないから比べようもないけど……」
 しばらく沈黙していた佐野が喋り出したので、俊はどこかホッとして視線を相手の横顔へ移した。ベッド脇に座った佐野は、相変わらず真剣な表情を崩さず、じっと俊の局部を見下ろしている。
「でも、これはやっぱり、十七歳の高校男子の平均にしてはかなり小さすぎると思う」
 ホッとしたのもつかの間、俊はその言葉に一気に地獄に突き落とされた。
そこにはかつては平均以上の大きさだった男性器が、今や小学生にも劣るかと言う体たらくで横たわっているのは、俊もすでに確認済みだ。
 だが、こうして他人に告知されると「もしかして、夢かも」と少しでも思っていた自分を全否定される。ちんぽが縮んだのはまぎれも無い事実だった。
「ちょっと、触るな」
 我に返った俊の返事を待たずに、佐野の冷たい指先がへその下、陰毛の生え際あたりに触れた。
そのまま指先で探るようにさわさわと茂みを撫で回してくる。
 いくら養護教論による診察といえど、同性に縮み上がったちんぽを見られ、触られ、握られ、恥ずかしいやら情けないやら、悲しいやら、何より、嫌な奴に弱みを見せる屈辱感に、俊は奥歯を食いしばりながら、早く終わらせてくれと頭の中で叫んでいた。
 ふと茂みの中に潜り込んできた指先が、前触れもなく大胆に動き出し、かつて味わったことがない蕩けるような感覚が突き上げた。
「あぁ……」
 指が、すっかり萎縮したペニスと睾丸の間にできた窪みに、入り込んで探るように動くと、俊は思わず息を漏らしてしまった。
 たったそれだけなのに、撫でられている場所から生まれる淡い快感に、腰のあたりがぞくぞくと疼く。
 自分の体で何が起きているのかさっぱりわからず、俊は身をよじらせた。
「穴が、できてるんだな。すごいな。まだそんなに深くないけど、でも、これは膣だ」
 佐野が感心を露わに、ため息交じりに言った。それは、俊にとって死の宣告にも値する言葉だった。
 穴。アナ。ちつ、膣? 膣ってあの膣? なんで? どーして?
「診察はこれくらいでいいか。服着ていいぞ」
 呆然と天井に目を向けたまま、微動だにしない俊の気持ちを悟った佐野が、トランクスを引き上げ、俊の体を起こすのを手伝った。Tシャツを着せ、軽く頭を撫でる。再び向かいに座り、角張った膝を軽く叩いた。
「おい、しっかりしろよ。サプリといっても、効果は人それぞれだ。もしかしたら、あのサプリはお前の体内で女性ホルモン的なものに変わったのかもしれない。でも、この女体化の原因がサプリの副作用なら、飲むの止めれば元に戻る話だろ。そんなこともわかんなかったのか、お前。頭悪いな」
 正面切って「頭悪い」と言われ、ムッとした俊は膝に置かれていた佐野の手を払った。
「やめたよ。薬飲むの、一回やめたよ。誰だって変だと思ったらやめるだろ。でも、そしたらすぐに体がだるくなったり、集中力が続かなかったり、調子悪くなったんだ。で、飲み始めたら、また元に戻って。でも、体はこんなになるし……。センセー、俺、どうすればいい、このまま女になるのかよ」
 俊は思わず両手で佐野の白衣の胸を掴んだ。
 白衣を指の関節が浮き出るほど握りしめ、肩を震わせる俊の頭を佐野は宥めるように撫でた。
「大丈夫だ、心配するな。色々試してみよう」
「試す?」
 顔を上げた俊は、訝しげに眉をひそめた。
「とりあえず、テストステロンを増やすサプリ飲んでみるか。認可されてるやつだから」
「また変なもん飲ませるつもりじゃねーだろうな」
「泣きついてくる可愛い生徒を、俺がむざむざと見放す極悪教員だと思う?」
 佐野が薬品棚のガラス戸を開けるのを見ながら、俊はジャージのズボンを穿く。
「センセーならありえる」
「マジ、可愛くねえ、お前。助けてやろうってのに」
 佐野は俊の元に戻ってくると、前回と似たような容器を渡した。前は白だったが、今度は青だ。ラベルはない。怪しい臭いがプンプンするが、今の自分にはこれしかないように思えた。
「元はと言えば、センセーのせいじゃん」
 佐野は見るからに胡散臭い。
 佐野の態度は、苦労を知らず、今までずっと人生のいいとこ取りしてきたような、全てが自分の思い通りになると思っているような奴らの典型だ。
 俊はこの手のずるい大人が一番嫌いだった。だが、佐野は、それ肯定させるような自信と、突き抜けた格好良さがある。
 触診の時に佐野に何かを感じたのも確かだ。
 俊は今、佐野を一ミリほど頼りにしていた。
 俊の黒髪を大きな手が掻き回してくる。
「それでダメだったら、俺も一緒に病院に行くから」
 完全に子供扱いだ。超ムカつく。それでも、なぜか手を払う気は起こらなかった。
「あ、ああ。頼む……」
 なんだか、くすぐったい気持ちが沸き起こり、下を向くと佐野が耳元で囁いた。
 ——とりあえず、今からスポーツブラ、買いに行くか?

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