逢瀬 2

 仁兄と交わった後、ラブホテルを出て近くのハンバーガーショップに入った。

 繁華街に近いせいか、いろんな種類の人たちで程よく混んでいた。

 週末なのにスーツを着た金髪の若い男と派手な化粧で体の線がばっちり浮き出たワンピース姿の女。向き合って二人はお互いスマホの上で忙しく指を動かしている。  

 B系ファッションの、あらゆる意味で奔放な数人の男女が一斉に笑う。私は視線をそれらの人々の上に巡らせて、自分を現実の中にはめ込もうとした。

 シャワーを浴びてさっぱりしているはずなのに、セックスの後の特有のだるさが体にまとわりついている。まわりの空気が膨張して伸しかかる感じ。そのくせ頭の芯ははっきりと冴えていて、耳に入る音が妙にクリアだ。

 カタン、とトレーをテーブルに置く音や、ストローがギギギ、と蓋を擦る耳障りな音、コツコツとプラスチックのスプーンがカップを引っ掻く意外と硬質な音。

 そんな人たちの席の間をトレイを持った長身の仁兄はすいすいと縫って来る。女の子グループの全員が喋るのを止めて、完璧なアイメイクに縁取られた目がぴたりとその動きを追っているのを私はぼうっと見ていた。

「お待たせ」

 ハンバーガーとドリンクでいっぱいのトレイを置きながら向いの椅子を引く仁を見上げる。そんな私に、彼女たちの視線が張り付くのを肌で感じた。

「何?」

 あまりに仁の顔を見ていたから、彼は何か付いているかと顔を片手でくるりと撫でた。

「女の子たちが見てたよ」

 仁兄は露骨に首を捻って女の子たちの方を見た。そして私を見てにっと笑う。

「まあ、でもオレは比和一筋だから」

「ばっかじゃない。おかしいよ、それ」

 チーズバーガーの包装紙を開けるとむわっとパテの強い油の匂いが鼻をついた。

「おかしくても、オレは満足」

 ああ、腹減った、と仁は箱の中からベーコンレタスバーガーを出してかぶりつく。

「喰うことが面倒くさいときは、こういうもんが一番いいな」

 そういって、ストローをくわえる。たぶん、レモンティー。

「面倒なら食べなきゃいいじゃない」

 私は大量のまだ熱いポテトの山から二本摘んで噛んだ。汗をたくさんかいたからか、塩味がとても美味しい。

「ああ、そうじゃなくてさ、セックスして体は満たされてこれ以上なんにもいらないのに神経はやけに昂ってるし、腹は減ってるわで、そんな状態でまたレストランとか入って、メニュー見て、料理がどんな味か想像して選ぶのとかすっげー億劫。だから、味については考える必要が無い、こういうところで喰うのがラク、じゃない?」

「まあ、自分の想像した味と違うものが出てくることは無いからね」

 チーズバーガーを食べ終わった私は、冷たいお茶を飲む。仁は「そうそう」といいながら、ぱくぱくと一定のリズムで食べている。上手な食べ方だな、と思う。さっきまでその口で私のあそこを嘗めていたのに、私を求める言葉を発していたのに、今、その器官はハンバーガーを食べるだけに使われているなんて、なんだかハンバーガーに嫉妬する。

 世界規格のそれは、どこの土地の材料で作られても、どこで食べても同じような味であるらしい。

 それなのに私の双子の兄は同じ細胞から出来ているのに、全然違う味がする。 

 この違いは一体どうして。

 侑兄。今何をしているんだろう。こんな時間なら家で本を読んでいるかな。

 週末は仕事をしない主義だから……私の頭の中で侑が本のページをめくったり、ソファに寛いでDVDを観ながら長い脚を組み替えたりしている。もう長いことそれは何度も再生されて、侑兄は少し褪せている。

「侑のこと、考えてるだろ」

「えっ」

「いいよ」

 彼はナプキンで軽く口元を抑えた。

「いいの?」

「今、ここにいるのはオレだからな。……今日は贅沢だ。時間を気にする必要がない」

 落ち着いた仕草で今度はハンバーガーの包装を開く。大きな手の中で、包装紙が頼りない音を立てる。そしてピクルスとケチャップの混ざった匂い。

「二つも食べて太るよ。メタボだよ」

「仕事の合間に泳ぎ込んでますからねえ。無駄な肉ついてないっておまえが一番良く知ってるだろ。夜は長いんだしさ、喰わないと」

「ねえ。それと私、どっちが美味しい。ねえ」

 本当に、あんまり美味しそうに食べているから、つい言葉に出てしまった。兄は一瞬、目を開き、ハンバーガーを片手に声を出さずに笑った。その頭に丸めた紙ナフキンを投げた。

「そういえば私たちこういうお店に二人で来たの、初めてじゃない?」

「そうだな。家族ではイベントっぽく何回かあったけど。一緒に住んでるお前と二人で飯喰いに行く理由なんてなかったしな」

 一緒に住んでいた。ひとつ屋根の下で。

「新居どう?」と訊く仁に、私は適当に言葉を返す。

 食べ終わると、ハンバーガーショップからラブホテルに直行。

 そこで部屋を選ぶのは、自販機でジュースのボタンを押すのと同じ感覚。大抵、シンプルで落ち着いたものを、仁が選ぶ。日常に付属する非日常の空間。

「プレゼントありがとう」

 ベッドに座り、冷蔵庫からビールを出している兄に声をかける。

 レストランで誕生日を祝ってもらっていた。プレゼントはルビーの華奢なピアス。

「それ、『自分にプレゼントした』ってあいつに言うんだろう。嘘付かせてるみたいだな」

 彼は静かにビールを飲み、サイドテーブルに缶を置くと隣にごろりと仰向けになった。

「嘘つくのなんて、初めてじゃないもの」

「全部言っちゃえばいいのに」

 そんなこと出来ないと知っていて、どうしてこの人はくだらないことを言うのだろう。

「ああ、言えたら今おまえと一緒にいるのはオレじゃないよな」

「だまれ。もう、それ言うな。だまれ。バカ兄貴」

 私は彼の上に乗り、手を振り回して彼の口を塞ごうとしたが、あっけなく手首を掴まれてしまった。

「ひわちゃん、こわー。何? 生理前?」

「違う」

「知ってる。ピル飲んでるもんな」

「何で知ってるの、変態」

 黙って睨む。兄は静かに私を見つめる。暖色な照明の下で、兄の輪郭がぼやける。

「ごめん。嘘付かせて」

 同情の、低い声。手首を掴む手に力は入っていない。でも、簡単に解くことは出来ない。

「いい。もう慣れた」

「その代わり、ちゃんとオレ、ずっとおまえのこと大事にするから」

 その言葉に嘘は無い。

「いい。大事にしてくれる人、もう見つけたから」

「でも、おまえ、イケる? あいつでイケるの? おまえが本当に欲しいものを、あいつは持っていない。でもオレなら持ってる」

「イケるもん。すっごいんだから、尚紀は。もうね、仁兄と比べ物にならない」

 ああ、そうですか。と言いながら彼は手首を掴んだまま軽々と上体を起こす。その勢いで触れるだけのキスをされる。瞳の奥が笑っている。

「尚紀からのプレゼント、四葉のクローバーだった。『幸運』だよ。いいでしょ」

「クローバー? ……クレーじゃん。おまえの好きな」

 あ、そうだ……パウル・クレー。クレーはドイツ語でクローバー。

「何? 今思い出したとか。なんだ、あいつそれ狙ってたんじゃないの。可哀想、おまえ気づいてやらなくて」

「いいもん。あとでフォローするもん」

 仁兄は私を掴む手を引き寄せて、そのまま私の背に腕を回す。頬で感じる兄の硬い胸。

「セックスを表現するなら、私に言わせたらクレーの絵みたい。あんなにぼんやりした色の組み合わせなのに、全体を見た時には、ハッとしてしまう完成度。セックスも、ぼんやり前戯に浸ってると、いつのまにかすごいのが来て、達しちゃう」

「なんだよ、ぼんやりって。おまえね、セックスなんてそんな高尚なもんじゃないって。所詮穴と棒、だろ」

「まあ、仁兄にはファンタジーが無いからわからないと思うけど」

 口を尖らせながら彼を見上げると、あぁ、と仁兄は嬉しそうに目を細めた。

「いや、わかるぞ。つまりオレが筆で、おまえが色だ。で、ベッドがカンヴァス? そうかそうか。筆おろし、とかいうもんな。男は筆か。女は溶けていろんな色に変わる感じだな。筆も色も共に働いて、ひとつの絵が出来る。な、オレ、今いいこと言っただろ」

 うしし、とわざと歯を見せて笑う仁兄に呆れて言葉が無い。「筆おろしの意味が違う」と訂正しつつ、うまいこと言ったと、薄らと頭の後ろで感心した。

「じゃあ、もう一回絵を描こうか。今世紀最大の大作をさ」

「バカにしないで」

「してない」

 兄は肩に顔を埋めながら、じんわりと体重をかけるから私はベッドに沈まざるを得ない。こうやって、いつも流される。

「プレゼント、来年も期待してるといいよ」

「それよりも、明日の朝食に期待する。またファーストフードなんて、イヤよ」

 仁兄の濡れた息がシャツの剥がれた肩で揺れる。

 硬くて安っぽい冷たいシーツの肌触り。

 でも、もうそんなことどうでもいい。それはすぐに温かく、湿りを帯びるのだから。

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