岩崎家

 私が実家のことを思い出す時、今の家ではなく改築前の家が瞼に浮かぶ。

 祖母の小さな畑があった庭。さるすべり、つつじ、ライラック、椿に柿の木。

ホウセンカの鉢植え。日の当たる縁側。長年かけて磨かれ、黒光りする長い廊下。

 そこを何度も何度も往復した雑巾がけのあとに、祖母から最中や麩菓子を貰った。

 ……さ——ん、よ——ん、ご——

 早くどこかに隠れなきゃ。

 小さな私はぱたぱたと、春の光を反射して黒光りする廊下を、仁兄の声に追われて走る。

 祖父の書斎の障子を開け、そっと後ろ手に閉めた。

 六畳の和室にどっしりとした本棚と引き出しに黒い鉄の引き手がついた文机。さっと見回し、急いで隠れる場所を探す。

 そのとき、突然「すっ」と押し入れの襖が少し開いたので、私は飛び上がらんばかりに驚いた。

「比和子? おいで。一緒に隠れよう」

「ゆうにい?」

「はやく」

 小さな手が私を招いた。押し入れの中には座布団が入っていたが、かろうじて私たち子供が身を潜める場所はあった。ナフタリンの匂いが鼻につく。

「声を出しちゃダメだよ」

 侑兄は私を、立てた膝の間に座らせ、両腕で私を後ろから包んだ。私は見つからないかとそればかり気になって、息をひそめて耳をそばだてていた。隙間から射す光が縦に一本、重なった布団に線を引いている。

 どのくらいそうしていただろう。とくとくとく、と心臓が小さく跳ねているのに気が付く。でも、それは自分のものか侑兄にものかわからない。背中にぴたりと張り付いた兄の胸。

 温かい息が首筋にかかるのを感じた。気が付けばぎゅっと抱きしめられ、侑兄の顎が肩に乗っている。私がゆっくり振り向くと、侑兄の乾いた唇が私の顎の傾斜を滑った。

 その時、何の前触れも無く襖が開いた。眩しくて私は目を細めた。

「見つけた。わかり易いんだよ」

 逆光で顔は見えなかったけど、一瞬、目の前に立つ仁兄の目が冷たく光を帯びたように感じた。それから仁兄は黙って書斎を出て行った。

「見つかっちゃったね。次は僕がオニになるよ」

 侑兄は優雅に笑って私の脇からのそりと這い出した。 

 てつや、みっけ。仁兄の声が子供部屋のほうから聞こえた。

 父は今となっては建築事務所で人を雇う立場にいるが、昔は、祖父に母との結婚を許してもらうまで何度も母の実家に通ったと言う。

 母は祖父に似て、綺麗な人だ。目が大きくて柔らかな表情。そしてそれを譲り受けているのは双子の侑と仁。簡単に言うとバタ臭い顔。甘い顔。

 二人は一卵性双生児だから本当にそっくりだ。昔見た101匹のダルメシアンのアニメに出て来た意地悪な二匹のシャム猫……そんな感じ。ひげを震わせるのも、尻尾を揺らすタイミングもまったく同じ。シンメトリー。声も酷似。

 緩いクセっ毛は紅茶色。長めの前髪にレイヤーを入れて軽くしている。耳の下でカットされ、シャープな顎のラインが際立つ。

 一方、隆宏は父の凛として、さっぱりした顔つきを受け継いでいた。

 大学に行く日は短い髪をつんつんとセットし、休みの日はぼさぼさだ。髪型しかり性格のオンとオフもかなりはっきりしている人だ。

 私はそのどちらも半々に受け継ぎ、『和洋折衷だ』とよく家族にからかわれた。

 目の涼しさは父、ふっくらした口元の甘さは母譲りだった。真ん中で分かれた長めの前髪をかき上げるのが癖で、肩下まである髪は「動きが出るようにカットして」と兄たちの通う理容室で毎回注文をする。ブリーチしたかったけれど、中学ですでに先生に目をつけられるようなことはしない方がいい、とその兄達にたしなめられた。

 両親が共働きの家庭で、家では三人の男たちが私の教育係だった。末っ子の私にいろいろ教えてくれたのは、いつも兄達だった。

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