幸せのヒント 1

 尚紀とセックスをしたのは付き合って三ヶ月後だった。

 有り体に言えば、私が誘ったようなものだ。『ご飯つくりにいこうか』と切り出し——比和子さんの手作り? 嬉しいな。じゃあ、好き嫌いある? ——こんな自然な流れで約束して、次の週末に彼の部屋に行って二人でご飯を作って、食べて、ワインを飲みながらネットフリックスを見て、彼に寄りかかって、彼が顔を寄せて、キスをして。

 ベッドの上の彼は服とともに高慢さも脱いだ。

 とても丁寧ですみずみまでやさしく愛してくれた。

 兄たちみたいに私をこれでもか、って追いつめるようなことはしない。それがまた少し物足りなかったけれど、普通に、よかった。

 クーラーをつけていたけれど、二人でたくさん汗をかいた。

 体の相性は悪くない。

 セックスをした日の朝、——朝といってももう昼近くで——コーヒーを飲んでいるときに尚紀は私を始めて『比和子』と呼んだ。

 土曜日で、人の多い夏日で、前日にショップで着ていた黒いワンピースがちょっと重いかな、と気にしていたら、

「似合っているからいいよ」

 手をつないだ尚紀はさらりと言う。

「そういう問題?」

「ちがうの? もし気にするなら、俺が気にすることで、比和子は気にすること無いよ」

 この人にそう言われると素直に納得してしまう。彼の言葉の力は強い。

 迷いの無い人。兄たちにはこういう強い影響力はなかった。言葉にしなくても、雰囲気でなんとなく全て了解できてしまう私たちだったから。

 この人は、彼らと全く違う。違うことにほっとしつつも、たまに不安に襲われる。

「もう、今月は土日休めないの」

「じゃあ、平日に俺んちにくれば。……待っててくれると、かなり嬉しいんだけど」

 その展開の速さと、言葉の意味を探るのに頭の中が忙しくて何も言えないでいると、彼なりの強引さでぐんぐん手を引かれてしまい、気がついたら並んでスツールに座っていた。

 駅の端のコーナーで、機械が金属を削るきーんという音に、人がこれだけ行き交うのに誰も注意を止めない。

「スペアキーなんかもらっても困る」

「使わなくてもいいよ。持ってるだけで」

「クレジットカードの勧誘みたいね。持っていればいつの間にか使ってるという」

「なんでばれた」

 いたずらが見つかった子供のように歯を見せて笑み、「このあとキーホルダーを買いに行こう」と言った。

「ただいま」

 サンダルを脱ぐ時に、素足のペディキュアが右の親指だけ少し欠けていた。

 あれだけ入念に塗ったのに。まさかあのとき尚紀に齧られた?

 二階に上がろうと階段に足をかけたら仁が降りてきた。全身に疲れをまとっている。

「おまえ、泊まりか。……けっこう時間かかったな。何ヶ月? 意外と慎重なんだ、あいつ」

 声が掠れ気味だ。

「もしかして、起きたばっかり? もう四時よ」

「うるせえ。シャワーはさっき浴びたぞ」

 壁に体ごと押し付けられる。バッグが肩から滑り落ちる。手首が壁に張り付けられる。

「くるしい……って。どうしたの? ねえ、やめてよ。お父さんに……」

「オヤジは事務所で会計士と帳簿整理。メシ喰って飲んでくるから、帰りは遅い……おまえ、ひとんちの匂いさせて」

 首筋に吸い付きながら、仁はワンピースの背中を撫で回し始める。

「だめだよ……」

 そういいながらも腕を仁の首に巻き付けた。背中に腕が回り、膝の下から体を抱き上げられ、そのままソファにもつれ込む。

 体が悦んでいる。こんなに乱暴にされて。

 片手で簡単に手首を押さえつけられて。乳房は彼の手のなかで痛いほど揉み上げられて。

 首筋は唾液を塗られまくって吸われまくって。太腿に当たる彼の張りつめた股間を感じると、愛おしくてたまらなくなる。

 ワンピースを不器用に下ろす手つきがもどかしくて、腰を浮かせて彼を助ける。

「なあ、新しい男、どう? もうヤッたんだろ?」

 乳房の間でくぐもった声は体温と相対して冷たい。

 感情と感情のぶつかり合い。

 激しく求められるキスに口の中は彼の舌で埋まる。

 乱暴にショーツの中に差し入れられた手だけれども、指は優しく柔らかな芽の上をなぞっている。

 脚の間に無理に体を割り込ませるように、猛ったものが柔肉を押し広げて食い込んでくる。

 こんな無様なセックス……侑はしないよ……。

 あまりの気持ちよさに体は嬉しくてぬめりを増す。喘ぎながら手を伸ばして彼の髪をくしゃくしゃに掻き回し、肩に思い切り歯をたてる。

「やっぱ、オレだめだ——比和が他のヤツとヤッてるとか、どう考えても、無理だろ」

 柔らかみは彼の手の中でつぶされ、硬くなった部分は舌で指で削がれるように擦られた。全身がびくびく震える。仁だ。仁が入ってる。

「っはぁ……私が、好きなのは……」

「……わかってる……でも、だめだ。あいつとおまえが抱き合ってるとかもう、無理……こんなことも間違ってる……だめなんだ……」

 大丈夫、それを乗り越えれば、すぐに気持ち良くなる……私が通って来たところを仁兄も通るだけ。

 大丈夫。もうすぐ。早く来て。

 この瞬間に、お父さんが帰って来て全部バレてしまえばいいのに。

 二人とも殴られて、情けないって怒鳴られて、出て行けって言われたらどんなに楽だろう。

 体に受ける痛みは一瞬だけど、秘密という棘が刺さった心は毒が回り切るまで痛むから。

 しくしく痛むから。きっと、それは私だけじゃなくて。

「……ごめん、侑はこんなふうにしないよな」

 私の女の部分をさんざん食べ尽くして、吸い尽くして、下から、横から、後ろから乱入しまくって渾身尽き果てた仁は、呼吸を整えたあと、私の首筋に顔を埋めて言った。

 私の体力も限界だった。このまま二人で屍になりたい。

「ん……いいよ。別にそんなこと……」

 全てがどうでもよくなる。

 でも、やっぱりまだ、まだ仁が欲しい。被さっている仁を少し押しやって、這い出し、緩慢な動きで下へ移動する。

 一度吐き出し、萎えた仁に手を添え、慰めるように舌で撫でる。あれだけ私の中で荒々しく振る舞っていた暴君がこんなに萎縮してしまって、哀れに思う。べったりと二人の体液を纏ったそれはふにゃりとして、温かい。

 陰毛が根元に張り付き、玉子の白身に似たぬめりを舐めとる。

 頬張り、吸い込み、舌を絡めると、だんだん硬さが戻って来る。

「っ……ひわ……」

 もう、そんなに髪の毛掻き回さないで。

 そう思いながら、口の中を唾液で溢れさせてしごき続ける。

 仁が熱く身を震わせる。膨らむ欲望。それを全て吸い尽くしたい。

「ひわ……おれ……っ」

 彼の手は私の頭を強く押さえつけた。

 突かれる喉の奥。太腿に置いた手の下で筋肉が強ばった。久々だから上手に飲めるか不安だったけど。

「ん」

 仁の精液がじりじりと食道を焼きながら流れ落ちて行く。

「こういうのも、共食いっていうのかなあ」

 頬を上気させたまま、冷めた目をした仁は私の頬をそっと撫でながら、見下ろした。

「ばーか……」

 邪険にされても、手の中の彼は全て奪われてふにゃりとしていて可愛い。

 再び這い上がって、汗で首筋に張り付いている毛先の上からキスをした。

 苦しいくらいに強く抱きしめられる。

 今日、仁とセックスした。日記にはそう書こう。

 日記なんてつけてないけど。

 今日からつけてみようか。

 始めて尚紀とセックスをして半年後にプロポーズされた。

 世間一般にはそれが早いのかどうかよくわからない。だって、私は十四の時から世間一般に当てはまらなかったから。

 もちろん、私はそれを受けた。

 私が尚紀と新しい部屋に住み始めると、侑兄が実家に戻って来たことを仁兄から聞いた。

 やっぱり私のせいだったんじゃない。って、思った。

 それは仁のせいじゃなくてね。……なんか腑に落ちない。

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