別れ(前編)

 キアラは、陽がだいぶ高く昇った頃、清々しい気分で目を覚ました。

 奥の浴室で水浴びをしたあと、明るい水色の、足首まであるアバヤドレスを着た。もうアズーラに身支度を手伝わせなくなっていた。

 最後に、ラシャードに贈られたルビーの指輪を嵌めながら、昨夜、寝着を彼の部屋へ忘れてしまったのに気がついた。

 それを口実にラシャードの元へ行けるのではないかと考えると、ふいに昨日の出来事が瞼の裏に蘇り、たちまち顔が熱くなる。

 しかし、呼ばれるまで彼に会うのは我慢すべきだと言い聞かせ、彼女は庭の望める窓際に座った。一人でいると、ラシャードの体温や、肌の匂いや、声の響きを思い出さずにはいられない。そして今夜与えられるはずの講義の続きに期待で胸がときめいてしまうのだった。

 数時間後、やっとキアラの部屋に待ち人が姿を現した。だがそれは昨夜の情愛の残り火を煽るためではなく、思いがけない報告をするためだった。

「しばらくの間、ここを離れることになった。北方の国で過激な動きがあってな。私はそれを告げに来たのだ、美しいレスアの娘よ」

 キアラは、カルファに反抗する勢力が北に集まり始めているという話をアズーラから聞いてはいた。

「でも、それは兵士たちに任せておくわけには? 国の兵だけでは十分ではないのですか?」

 言いながら、キアラの顔は恐ろしい予感に青ざめていった。

「もちろん、えり抜きの兵士たちでもあるが、私が兄たちの供をしないとなると、国民に自ら臆病者を名乗るようなものだ。愛しい人」

 ラシャードはキアラとの距離を詰め、手を取るとその細い指に唇を押し付けた。

「おまえをここへ置き去りにすると思うと、心は張り裂けそうだ。それに……」

 いつになく、彼は弱々しい笑みを見せた。

「おまえの心を奪うことに執心したばかりに、昨夜、せっかくことを起こせただろう機会を先送りにした自分の愚かさに呆れている。いや……、だが、それが愚行だとまだ決まったわけではないだろう。もしかしたらこの事は後々、私の生涯で最高の歓喜をもたらすことになるかもしれない」

 キアラが何か答える前に、ラシャードは彼女を引き寄せて口付け、すぐに身を離した。

「あなたは私の愛を……心を奪いたいとおっしゃいましたが、それはどういう意味ですか?」

 キアラは、踵を返しかけたラシャードの上着の袖を引きながら、口早に訊ねた。

「私は昨夜、自らあなたの元へ行ったではありませんか?」

 ラシャードは、自分を見上げる困惑の笑みに小さく頷いた。

「いかにも。だが私は、情慾にそそのかされたおまえの体が欲しかったのではない。心だ。おまえの愛が欲しかった。私がおまえの全てだと。私の姿が見えねばおまえの心が騒ぎ……そう、私がおまえを思い、そう感じているのと同様に……それを望んでいた。だが、それはもう少し先のようだ。……見送りはよい」

「待ってください!」

 今度こそ行ってしまいそうなラシャードを必死で引き止める。

「もし……もし……おっしゃるように、私の心を手に入れたとして。そして、その後はどうするおつもりですか?」

「一生離さない」

 きっぱりと、静かに言ったラシャードはキアラの顔を見下ろしたまま、上着を掴んでいた手をそっと外すと、振り向かずに出て行った。

 置き去りにされたキアラは、その場に凍り付いたように動けないでいた。打ちのめされ、立ち尽くしていた。彼女は今聞いたばかりの言葉を、その幸せをまだ信じられないでいた。

 ラシャードが自分を愛して止まないと。一生離さないと。

 その時、窓から入って来た風が頬を撫でるとキアラは我に返り、目を瞬かせた。ラシャードに自分の気持を伝えなくては。旅立つ前に必ず……。

 キアラは手を叩いて奴隷の一人に紙とペンを持って来させ、すぐに机に向かった。逸る気持に異国の文法につかえる手の動きがもどかしい。詩の一節を書き終え、ほっと息をついた。その詩は彼と会って間もない頃、共に読んだ愛の詩だった。

 インクが完全に乾くと、紙を丸めて青い絹の帯で留めた。今度はアズーラを呼んだ。

「これをラシャード様に。必ず本人に渡してね。渡したらすぐに戻って来て教えてちょうだい。王子が何を言ったのか、どんな表情をしたのか」

 信頼している奴隷の軽い足音が消えてから、キアラは落ち着き無く部屋の中を歩き回った。この時間は永遠に続くのではないかと思い始めた頃、扉の前の垂れ幕が揺れた。

「アズーラ? 遅かったのね……」

 駆け寄ったキアラの前に現れたのは、侍女ではなく、ラシャード本人だった。キアラは足を止め、あまりの驚きに声も出せずに、温かな琥珀の眼差しを受けていた。

 旅の支度をしていたのか、ラシャードはいつものゆったりとしたカンドーラ姿ではなく、故郷レスアの男が着るような詰襟の白いシャツと若草色の細身のズボンに膝までの革靴を合わせている。

 キアラはラシャードの目の前に立つと、軽く腕を上げた。ラシャードからは普段感じられない緊張がひしひしと伝わって来たが、構わずにそっと彼の頬に添えた。キアラが宮殿に来てから、初めて自らラシャードの肌に触れた。

 彼は目を閉じ、躊躇いがちな指先が頬を撫でるのを堪能しているかのようにじっとしていた。頬、滑らかな顎、真っすぐな鼻梁、額から真っすぐな黒髪。柔らかな髪は、手で梳くと指の間をさらさらと流れた。

 キアラの手は何度か同じ動きを繰り返し、その間ラシャードは微動だにしなかったが、最後に指が唇に触れた時、無意識に深く息を吸い込んでいた。やや薄めの、柔らかな唇にキアラは昨夜の口づけを思い出し、体の奥が疼くのを自覚した。

 彼女が手を引きかけると、ラシャードは目を開け、素早くその手を取った。

「続けてくれ。レスアの美しい娘よ。止めてはだめだ」

 彼はその手を自分の胸に当てた。キアラは薄い木綿の布越しに、ラシャードの強い脈を拾った。

「感じるか? 脈はこの瞬間、おまえのためだけに打っている」

「今だけ?」

「あいにく私は未来については約束したくても出来ない。神のみぞ知る」

「あなた方の神は、私たちの神よりも冷酷みたいだわ」

「いや、それはない。神は私にお前を与えてくれた……」

 キアラは彼の手を引いて寝台へ導いた。キアラがその上に座り、すぐ隣にラシャードが腰掛けると、彼女は俯きがちに囁いた。

「これ以上、待てません……。私は今すぐラシャード様を感じたいのです。そして私との思い出を胸に収めて旅立って欲しいのです。必ず帰って来て、もう一度私をその腕に抱いて欲しい……」

 そう言いながらラシャードの肩に手を掛け、そっと押し倒した。ラシャードは、自分の上に覆い被さるキアラから一時も目を離さず、されるがままに体を柔らかな寝台に沈める。キアラはそのまま靴を脱がせ、シャツのボタンを外していった。時間がかかるように思えるのは、彼女の指が震えているせいだ。

 やがて半分ほどシャツを開き、両手を厚い胸に置いた。そしてゆったりとした手つきで全体を撫で回し、しなやかな筋肉の作る隆起を楽しむ。親指は、ラシャードの小粒の乳首を掠めながら周りで円を描き、それが固くなるまで愛撫した。

(王子が自分にしてくれたのと同じように)

 キアラは彼の上で身を屈めると、その小さな突起にキスをし、舌先でくすぐった。両の乳首を公平に愛した後、おもむろに顔を上げるとラシャードの渇望の眼差しが自分に注がれていた。彼は手を伸ばし、キアラの髪に手を差し入れながら引き寄せた。飢えた雄の欲望が瞳にちらついている。

「さあ、口付けてくれ。キアラ」

 切羽詰まった声音に、キアラは体の奥で喜びを感じた。思わず頰が綻んでしまう。

「私の名前を呼んでくださったのは、今日が初めてですね」

「お前が私に敵意を持たずに触れるのは、今日が初めてだな」

 キアラの笑みにつられて、ラシャードも穏やかに言った。

「それとも、やはりお前は情慾を満たすためが目的か」

「もう随分前から、ラシャード様に敵意など持っていません」

 彼女は唇が彼の唇に触れるまで顔を近づけた。柔らかく、温かな二人の息が交わる。短いキスをし、顔を少し離して主人を見下ろした。

「『唇から魂は生まれる』。ラシャード様が以前おっしゃった事を、口付けるられるたび考えずにはいられませんでした。そして、今、私の魂はあなたのものになったのです」

 その瞬間、キアラの後頭を支えた手に力がこもったと思うと彼女の体は反転していた。驚きに開いた唇を塞がれ、すぐにラシャードの柔らかな舌が入り込み、臆病なキアラを探り当てた。男の体重を受け止めた、キアラの体からだんだんと緊張が解けて行く。自分を愛し、求めるラシャードに応えようと、キアラも貪欲に舌を絡めた。何度も唇を食まれ、舌を吸われているうちに、彼女は脚に押し付けられた彼自身が熱く脈打っているのに気がついた。でも、もう怖くない。

 それどころか、ぐいぐいと押し付けられている彼の欲望を早く自分の中へ導きたいとさえ思った。

 キアラは少し身を引き、訴えるようにラシャードを見上げた。その切望を読んだラシャードは、ふっと小さく笑った。彼女の手を取り、猛りの隆起にそっと添えた。

「これは次の講義になるはずだったのだが。私を愛撫し、昂らせる……。私をその手で、唇で満足させることを学ぶのは。しかし、おまえは私が教えるよりも早くそれを習得してしまいそうだな」

 キアラは、布越しに感じるその男の質量と固さに戸惑いながらも、手が放せなかった。

「きょ、今日はどこまで教えてくださるのですか? 今日こそ……、私の炎を消してくださるのですか?」

 ラシャードはゆっくりと頷いた。

「ああ。そうしない事には私が炎に焼き尽くされてしまうだろう。我慢も……限界だ」

 押し出すようにそう言って、彼はドレスの肩を開いて脱がせて行った。上半身が露になるとキアラは目を伏せながら声を震わせて言う。

「あの……、私が……。私にさせていただけませんか? 私がラシャード様を満足させたいのです。ラシャード様が女性に望んでおられる『才能』が私にもあるかもしれないのに、それを知らないままに旅立って欲しくないのです……」

 キアラは拒否されるのを恐れるかのように、ラシャードがまだ返事をしないうちに、伸ばした手を彼のシャツにかける。残りのボタンを外す手を、彼は払う事はせず、全てを委ねるようにごろりとキアラの隣に仰向けになった。

 帯び紐がなかなか解けず、せっかちにそれをぐいぐいと引っぱるキアラを、ラシャードは可笑しそうに見ながら、それでも手を貸して服を全て脱がせるのを手伝った。

 キアラは、まだサヒドのおぞましい陰茎を忘れてはいなかった。

 しかし、今彼女の目の前に反り返るそれは、同じ男性器だとは思えないほど嫌悪感のかけらも覚えない。むしろ、雄々しく猛る屹立に魅力さえ感じた。

「どうした?」

 黙ってじっと性器を見入るキアラに、ラシャードは不思議そうに声を掛けた。キアラは我に返ったようにぱちぱちと数回瞬きをし、おずおずと答えた。

「ラシャード様の……、『歓喜の支柱』がこれほどにも大きくて……驚いてしまって……」

「『歓喜の支柱』?」

 肘で体を起こしたラシャードは、眉をひそめた。

「男性の象徴を……サヒドがそう言っていました」

「あいつが言ったことは全て忘れろ。存在も、だ」

 キアラは黙って頷くと、ずっと男性器を見ていたのを恥じるように視線を泳がせた。

「ラシャード様がすぐにでも私の中に……されたいのは承知していますが……」

 彼は頬を緩め、キアラの手を再び――今度は直接――屹立に導いた。

「これはおまえのものだ。恐るるな」

 キアラは王子と目を合わせるとにっこりと微笑んだ。

「怖くなんてありません。私は今までラシャード様を恐れた事はありません。……ただ一度、私を見放されたとき以外は……」

 屈み込んだキアラの唇が、つるりと丸い亀頭に触れた。わずかに場所を変えてキスを落しながら、指を幹に沿わせる。そして、芯は固くともその表面のビロードのような手触りを楽しんだ。

 サヒドの奴隷の仕草を思い出しながら、その色濃い先端を吸う。すると、彼女の唇はさらに強い脈動を拾うと同時に、軽く握った手の中で肉茎がますます膨らむのを感じた。

 熱を帯びた幹の根元をきゅっと指で押さえながら強張りに舌を這わせて唾液をまぶした。そうして顔を上下させながら、もう一方の手で睾丸をすくって転がし、そこも唇で愛撫した。再び咥え込んだ怒張の先端から滲み出た愛液をちろちろと舐めとり、中心の筋を舌先でなぞった。

「もう……よい……」

 切羽詰まった低い声音にキアラがおもむろに顔を上げると、濡れた唇と陰茎の間で体液が糸を引いた。次の瞬間ラシャードの強い腕に引かれ、隣に寝かされた。

「今はよい。まず私がおまえに悦びを教えたいのだ。とうとう憧れの女を所有した、ただの男のようにな」

 ラシャードは彼女の上に被さると、愛の言葉を囁きながら顔、首筋、乳房へと熱い口づけを落していった。まだ柔らかな従順な蕾を唇に挟んで吸い、色づき、固くなるまで舌で弄び続けた。そうしている間にも、彼は手をキアラの脚の間へ滑らせ、強張りが解けるまで腿を優しく撫でさする。時折、秘処の浅い部分に触れては、彼女が濡れて行くのを確かめているようだった。

 そして蜜で光る指先をキアラの目の前で舐めてみせると、彼女の手を男根の、粘液が滲んだ先端へ導いた。キアラの指先は熱く、硬い昂りに触れた。それだけでさらに鼓動が高鳴る。

「どちらも準備ができているが……おまえは?」

「ずっと……待ちわびていました。ご主人様……」

 言葉にしたとたん、身体の奥からラシャードへの愛情が欲情をいっそう燃え上がらせるのを感じた。

 キアラの渇望を汲み取ったラシャードは、小さく顎を引くと、怒張の先端を泉の入り口に当てた。

「私はおまえを傷つけるようなことはしない、痛みを与えることは無いと以前約束した。だが、今夜ばかりはそれを守れそうにない。これはどうしても、私たちが一つになり、愛を確かめるのに必要な過程なのだ」

「わかっています……」

 キアラは待ちきれない様子で、ラシャードの身体に腕を、脚を巻き付け引き寄せた。ラシャードはその動きを引き継ぐように彼女の身体に沈み込んだが、その間ひと時も彼女から視線を外すことは無かった。キアラの脚の間から伝わる圧力が強くなっていく。彼女は彼が押入って来る緊張と、甘い圧迫感にぞくりと肌を粟立たせた。そして、自分をきつく抱きしめるラシャードの腕の力に驚き、また安堵した。

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