亀裂(後編)

 それから数日はアズーラからもエギュンからも、ラシャードの様子は伝えられなかった。

 冷静になれば、キアラはラシャードの逆鱗に触れたのが自分の頑なな拒絶だと認めたが、同時に、それを不思議に思わずにいられなかった。ラシャードに見せた反抗はこれが初めではない。それに、あの時は彼を侮辱したのではなく、ただ命令に従わなかっただけだ。なのに、あれほどまでに彼が感情を剥き出しにするなんて……。

 業を煮やした王子が、これ以上あの特別な講義を続けはしないだろう。キアラは見捨てられたと思うと、それが望みでもあったはずなのに、なぜか寂しく思った。

 噴水の縁に腰掛け、水に浸した指先で波を立てながら、今一度自分に語りかける。

(でも、あの人はレスアの敵よ。彼に屈することはレスアへの裏切りなのだから)

 いつだってこのレスアへの強い忠心が自分を奮い立たせた。

(でも……)

 今は、そのレスアの名誉が煩わしい。それを頑に護り続ける自分に頭の片隅で腹立ちを感じ始めてもいた。

(もし、彼が同じレスアの人間だったなら……。敵も味方も身分も関係無く、ただ一人の男として自分の前にいたなら……)

 素直にその胸に飛び込めるのだろうか。その先の想像を拒むようにキアラは強く頭を振った。

その時雲が太陽を遮り、一瞬視界が暗くなった。ルビーの指輪をはめた指先から沁みる水の冷たさが心を刺す。

 ある日、キアラはラシャードの宮殿の一室を訪れた。

 そこは宮殿の奥まった静かな場所にあり、その部屋の華美すぎず、落ち着いた雰囲気が故郷レスアの自分の部屋になんとなく似ている気がして、彼女の気に入りの場所だった。

 ラシャードが自分と口をきかなくなってからは、この部屋からも足が遠のいていたが、ふと読みかけの本が気になって来てみれば、部屋の様子が少し変わっていることにすぐに気がついた。

 普段ならきちんと壁際に置かれているクッションは、背の低い書きもの机の回りに雑然と置かれていて、明らかに持ち運ばれた新しい本が絨毯の上に無造作に積まれていた。それは誰かがそこで読書、または書き物をしていた痕跡に間違いなく、机の下には幾つかの巻き紙が何本も置いてあった。そこに彼がいたと思うだけで、胸が高鳴り始める。

 机に近寄ると、広げられている紙の上に連なった異国の文字をゆっくりと読んだ。

――私の身体はやがて炎によって焼き尽くされるだろう

  心の中で燃え盛る、恋という名の炎によって

  燃える身体を海に投げ込めば、荒れ狂う、愛という波に飲まれ、

  私は溺れ死ぬだろう……――

 唇は声を出さずに微かに動いていた。やがて愛の詩を読み終えると、今度は感銘に震えた唇から長い溜め息が漏れた。そこに書かれている一語一句はまるで自分の気持を表しているかに思えた。

 ラシャードに初めて逢った時から、心の奥では常に小さな炎が揺れていた。それは、彼に対する憎しみだと、レスアの敵に対する怒りの炎だと今まで自分に言い聞かせてきた。ラシャードの声を聞く度に、彼に触れられる度にその炎が激しく、大きくなって行くのに気がつくと、彼に惹き付けられるもう一人の自分を無視していた。彼をなんとか憎もうとした。

(本当に……憎しみなのかしら?) 

 その問いの答はこの(うた)だった。憎しみというよりも、恐れ。自らの炎に焼き尽くされてしまうのではないかという。

 そしてこの詩は、ラシャードの心にはこのような詩を書かせる相手がいるのという確固たる証拠。それを知った今、自分の胸に巻く嫉妬の渦を意識しないわけにはいかなかった。

 動揺に震える手で、もう一つの巻物を取った。これは、失った一人娘への手紙のようだった。いや、もしかしたら最愛の妻への。行間からは、慈しみが溢れ出ていた。

 そう長くない内容も、途中まで読むと胸が張り裂けるほどに痛み、キアラは紙を手にしたまま、自分の中から哀しみが過ぎ去るまでじっと待っていた。

 目の奥が熱かった。両手で軽く瞼を抑えた時、近づく静かな足音を聞いた。顔を上げたキアラに歩み寄るのは、ラシャードだった。

「まさかここでお前に会うとはな」

 深みのある、穏やかな口調。

「ここへは良く来るのです」

 声が震えているのが自分でもわかった。

「でも、あなたに呼ばれる以外は、今日まで一度も宮殿でお会いしたことはありませんね」

「ここは私の気に入りの場所なのだ。この庭の眺めと、静寂。考え事をするにはこれ以上の場所は無い。もっとも、普段はそんな余裕もあまりないが、おまえに構わなくなってから時間が空いてな」

 ラシャードの言葉にキアラの胸が小さく痛むと同時に、再び湧き上がった嫉妬に胸を詰まらせた。

自分を訪ねることも呼び出すことも無く、夜ここを訪れるラシャードは自分の代わりに後宮の他の女を呼び出しているに違いない。王子に身も心も捧げる自分よりもずっと素直で可愛らしい女を。もしかして、ラシャードはその女に詩を捧げたのだろうか?

 そう思うと、自然と穏やかではない感情とともに、言葉が湧いて出た。

「あなたは……他の女性とここで過ごしたのですか?」

「ほう、少しでも私に興味があるのか? それとも私が他の女を抱いてはおまえに不都合があるのか?」

 彼の素っ気ない言葉は、キアラの胸に鋭い刃となって突き刺さった。

 これまでのラシャードの言葉や、眼差し、他の奴隷とは違う自分への特別な対応に、もしや、自分はラシャードにとって奴隷以上の存在ではないかとふと思うときが無いと言えば嘘だった。しかし、今、王子の口から出たのは、キアラが期待していたのとは全く別の言葉だった。まなじりが熱い。鼻の奥がつんと痛んだ。

 ラシャードは俯くキアラの手から巻物を取った。

「おまえはこれを読むべきではなかった。好奇心旺盛なレスアの娘よ。おまえは他人を敬うことを学んでこなかったのか? 人の心をこうして盗み見るのは、感心しないな」

 弁解の言葉は無い。それよりも、やはりそこに記された気持ちは、自分ではない誰かに向けられた彼の本心と知り、涙をこらえることが精一杯だった。

「一人にしてくれ。そして私の許しが無い限りここへは来るな」

 ラシャードは巻物を机に置き、窓際へ行くと庭へ顔を向けてしまった。キアラはふらりと立ち上がったが、すぐに出て行くことも出来なかった。

 彼の私物を勝手に読んだことを謝りたかったが、王子から漂う拒絶を前に、どう声を掛ければ良いのかわからず、その場に佇んでいた。

「どうした?」

 ラシャードは一向に立ち去らないキアラを肩越しに見た。

「普段なら、それを待ち望んでいたように私から飛び去って行くではないか。行けと言えば行かず、それは私への嫌がらせか?」

 キアラは激しく頭を振った。

「ただ……、私の愚かな好奇心であなたを怒らせたことを、謝りたかっただけです」

 ラシャードの瞳が驚いたようにやや見開き、それから口の端に笑みが浮かんだ。彼はキアラに近づき、ゆるりと持ち上げた手を彼女の顔に添え、指の腹で頬を撫でた。

 久しぶりにラシャードに触れられ、その温もりがじわりと身体に広がって行く。蘇って来る。こんな些細な愛撫でも、満たされて行く多幸感をもっと味わおうとキアラはうっとりと目を閉じた。

「おまえは私を怒らせてなどいない。ただ、忘れたと思っていた記憶を蘇らせただけだ」

 キアラははっとして王子を見上げた。相手の眼差しに哀しみが滲んでいた。

「ごめんなさい……」

「謝る必要は無い」

 ラシャードは少し身を屈めて、キアラに口付けた。短く、触れるだけのキスをすると、彼はキアラをもう一度見下ろして一歩退いた。そしてくるりと背を向けた。

「さあ、もう行くのだ」

 キアラは熱くなった顔を深く下げると、静かに部屋を後にした。

 ほんの少し触れられただけなのに、こんなにも感情が揺さぶられるなんて。耳にはまだラシャードの低く、柔らかな声が残っている。

 回廊を半ば程でキアラは立ち止まり、ラシャードの部屋の方を見た。低木の向こうに見える窓に彼の姿は無かったが、そこにラシャードがいるというだけでキアラの胸は高鳴なった。

 それを鎮めるように重ねた両手で胸を抑えるが、こんこんと湧き出る想いは、指の間から溢れ出してくるようだった。

六  焦がれる 

 ラシャードが自分から距離を取ったことで、今までどれほど彼が自分の側にいたか、その存在の大きさを痛感したキアラは、眠れない夜を過ごしていた。

 彼の手に触れたい、声を聞きたい、見つめ合いたい……ラシャードを焦がれる気持は、会わないことで薄れて行くばかりか、日増しに強くなって行った。

 その夜も、アズーラがランプの火を消して行くと、キアラは寝台の上でいつものようにラシャードに思いを馳せ、いつになったらまた呼ばれるのだろうと考えながら、何度目かの寝返りを打った。

 その時、キアラは迷いを捨てるかのようにぱっと身体を起こし、寝台から滑り降りた。

 部屋を出て、回廊に差し掛かると、明るい月の光が柱の影をくっきりと大理石の廊下に浮かび上がらせていた。裸足でそのひんやりとした床を踏み、忍び足で先を急ぐ。その中程まで行くと、立ち止まってラシャードの部屋の方を伺った。窓からはランプのオレンジ色の光が滲み出ている。それを見たキアラは思わず両手で胸を押さえた。

(王子が部屋にいる)

 そう思うだけで胸に、えも言われぬ喜びが湧き起こると同時に、得体の知れない恐怖を覚え、部屋の扉の前まで来た彼女は立ちすくんでしまった。

 この部屋に王子は一人じゃない。一人であるわけが無い。私ではなく、別の誰かを床に押し倒し、彼女の柔らかな唇を優しく愛撫しているに違いない……。

 薄暗がりの中、俯き考えに耽っていたキアラは後ろから近づく存在に気がつくはずがなかった。いきなり手首を掴まれ、振り向くと息を飲んだ。

「誰かと思えば……。一体ここで何をしている?」

 驚きに目を見開いたラシャードがそこにいた。

「あ、あなたこそ……!」

 予想もしなかった本人の出現に、掴まれた手を払いながらそう言うのがやっとだった。

「私か? 隣の部屋に本を取りに行っていたのだ。ああ、そうか。私がいないと思って、またなにか探りに来たのだな?」

 一人納得したように冷ややかに笑う。それを見たキアラの口から言葉が咄嗟に出た。

「ち、違います……。つ、次の講義を受けに来たのです……」

 言ってから、キアラの心臓は思い出したかのように激しく鳴り始めた。

 ラシャードは俯くキアラを静かに見下ろしていた。

「私がまだ講義を続ける気があると誰が言ったのだ?」

 闇に沈む暗い声音。

「頑に意地を張る女に嫌気がさし、放棄したかもしれんのだぞ?」

「その女が少し素直になり、ここにいるとはお考えになりませんか?」

 震える声で言葉を絞り出した。そんな彼女をラシャードは見下ろしたまま言った。

「次の講義は、私がおまえのありとあらゆる所に触れるのだ。おまえの身体の、今まで誰にも触れられていない場所にも。それでも、望むのか?」

 その言葉に、キアラは微かに身震いをした。彼の手があらゆるところに……。想像しただけで、キアラの身体が熱を帯びる。

 その小さな反応をもラシャードは敏感に感じ取った。

「怖いのか? もう後悔しているのか」

 蔑むようなその響きに抗うように、キアラは強く頭を振った。

 ラシャードが欲しくてここまで来た。結局自分は彼の奴隷なのだ。それを自覚しても、やはり後悔はしていなかった。ここで引き下がってしまったら、彼は二度と自分には触れないだろう。そして自分はきっとその瞬間を後悔する。キアラにとってもはやラシャードのいない生活など考えられなかった。

 ラシャードが深く息を吸い込んだ。

「よかろう。それなら付いて来い」

 彼は先に立ち、部屋の中央まで行くと、そこで待つようにキアラを手で制してから、机に本を置いて再び彼女の前に立った。

 ふっと香の匂いが濃くなったと思うと、彼の両手が肩に置かれ、温もりが上腕を下降した。気がつけば、薄い夜着が小さな衣擦れの音をさせてキアラの足下へ落ちていた。

 床に視線を落としたままのキアラに、ラシャードは静かに告げた。

「私を見ろ。おまえの気持をしかと知りたい」

 キアラは伏せていた瞼を上げ、相手の熱を帯びた眼差しが自分に注がれているのを見ると、鼓動が速まるのを感じた。

「やはり、怖いのだな」

 王子は肩から腕へ優しく愛撫をしながら囁いた。

「だが、お前は恐れる必要は全くない。お前に痛みを与えないし、傷つけもしない。触れるだけだ。約束しよう。ただお前は私のことだけを考えていればよい。私の手の動きだけを」

 そう言ったラシャードは、次の瞬間には体を折り、キアラの膝を掬って胸に抱き上げていた。そのまま彼女を寝台へ運び、柔らかなその上にそっと横たえる。彼は端に腰掛けて、不安げに瞳を揺らすキアラをじっと見下ろした。

「お前は美しい。この後宮のどの女よりも美しい。そして、私だけに溺れて欲しいと願う。私の命に従うのではなく、純粋におまえの身体が私だけを求めるように……」

 キアラは答える代わりに、相手を切望する眼差しとともに手を伸ばした。しかし、彼はやんわりとその手首を掴んで元の場所に下ろすと、ゆるりと首を振った。

「いや、私に触れてはいけない。今夜はまだ駄目だ。おまえが私に触れられるのは、私を心から愛したその時だ。私はこの間おまえからそれを学んだ」

 ラシャードが身体を近づけ、キアラの腰にそっと手を置いた。その体温を感じただけで、甘い痺れが身体を走る。その手は緩やかに下腹をゆっくりと上り、乳房を撫でて鎖骨をなぞった。肩で円を描くように動き、そのまま腕を下る。

 この愛撫をキアラの身体は確かに覚えていた。身体の中からふつふつと湧き上がる甘美な泡が肌の表面で弾け、そこから熱が帯びてゆく感覚。

 しかし、この穏やかな愛撫は前と変わりないはずなのに、ずっとそれを切望していただけに、受ける刺激は以前と比べものにならないものだった。

 既にキアラは、寄せる興奮から胸を波打たせ乳房を震わせていた。頭の芯が痺れ、思考は止まり、ただ相手の全ての動きを拾うためだけに五感が研ぎすまされていた。

 おもむろにキアラの身体がうつ伏せにされると、髪が脇に寄せられ、うなじを露にされた。

ラシャードの指先が肩、背骨の突起へと滑っていく。焦らすかのように時間をかけたその愛撫に身体を震わせながら、キアラは浅い呼吸を繰り返すことしかできない。

 しばらく肌の上を彷徨っていた彼の手が、不意に離れた。キアラは束の間じっとしていたが、一向に触れられないことに不安を抱き、振り向いた。

「続けても?」

 キアラは小さく頷いた。その時にはラシャードに対する恐れよりも、愛撫を欲する渇望の方が遥かに勝っていた。彼の手が再び丸みに置かれたのを感じると、瞼を閉じた。掌から伝わる重みと熱に安堵を感じた矢先、背中に押し当てられた唇の感触にキアラはぴくんと顎を上げた。

「私の口づけにもそろそろ慣れないとな……」

 熱い吐息がキアラの肌をくすぐったと思うと、彼のキスが背中に落とされる。そうしながら、キアラに覆い被さった彼の手は背骨の曲線に沿って徐々に下りて行き、みずみずしく張りのある丘の盛り上がりへ辿り着いた。

「っ……はあ……っ、ぁ、あ……」

 キスが肌を濡らす度に反応し、つい声が漏れてしまう。キアラは恥ずかしさで火照った顔を、冷たい絹のクッションに押し付けた。そして、何の前触れも無くラシャードの指が丘の谷間にするりと潜った時、キアラは声を抑えるために、さらにそこへ顔を埋めなくてはならなかった。

 彼の長い指は、探るように襞の間を撫でている。浅い部分を上下させる滑らかな指の動きが何を意味するのか、キアラには十分すぎるほどわかっていた。

ラシャードに広げさせられた脚の付け根から立つ淫猥な水音が、自分がどれほど反応しているのかを教えていた。

 まだ誰にも犯されたことの無い領域の柔肉には強い弾力さえあったものの、しとどに濡れそぼった秘所はラシャードの更なる侵入を難なく受け入れた。内側の強ばりをほぐすように、彼は注意深く抜き差しを繰り返す。

「おまえの中が……、蜜が私に纏わり付いてくる……。わかるか?」

「……や…………ンっ」

 ラシャードが耳たぶを食みながら、とぷりと中を掻き混ぜた拍子にキアラはびくっと全身を震わせる。もう一方の手は緩やかに背中を愛撫していたが、ある場所まで来るとその動きを止めた。

 そこには、サヒドの鞭がとりわけ深く与えた傷跡が浮かんでいた。襞の間で蠢く指に、意識を朦朧とさせながらも、キアラはそれに気がついた。

 その傷には毎晩のようにアズーラが油を塗ってくれてはいたが、完全に傷が消えるのはもう少し時間がかかるだろうと言っていた。

「醜い傷は……お目汚し、ですよね………」

 キアラは官能の余韻を帯びた震え声で、恥じ入るように言った。ラシャードが傷跡をゆっくりとなぞる。

「ちがう。傷はほとんど見えない。ただ……」

「ごめんなさい……きっと、綺麗に治りますから……」

「違う。ただ、私があの時サヒドの所へ着くのが少しでも遅れていたらと思うと……」

 彼は言葉を最後まで終えなかったが、キアラにはその気持が痛いほど伝わっていた。

 ラシャードは湧き上がる怒りを押し殺している。キアラを打ったサヒドへの怒りを。

 キアラは彼の手の下で体を回して仰向けになった。

「私を……、もう怒っていませんか?」

 まだその不安が完全に拭われていたわけではなかった。ラシャードが応えるまで、自分の高く打つ鼓動を数えられるようだった。

「いいや、私はおまえに本気で怒りを感じたことは無い」

 そう言ったラシャードの顔にやっと笑みが浮かんだ。

「あのサヒドの非道を思い出すと、彼は何かの酬いを受けるべきだと思わずにいられません。たとえば……去勢とか……」

 口が滑ったことに気がついたキアラは、思わずはにかんでいた。

「おまえが私に笑顔を見せるのは初めてだな。気がついていたか?」

 ラシャードも口の端に笑みを刻んだ。

「口づけて、ください……」

 キアラはそう言って目元を染める。

「ここ数日の間、ずっとそれだけを望んでいました……」

 小さく息を飲んだラシャードは、ゆっくりと彼女の上に身を屈めた。彼の唇は時間をかけて頬から顎へ下り、唇を塞いだ。キアラの手がラシャードを抱こうと腕に触れた時、彼はその手を包んで妨げた。

「今はまだ駄目だ。私は、おまえが初めて見せる従順をじっくりと味わいたいのだ。如何に私の意のままになるのかを。それに、こうしておまえの欲望が満たされなければ、その性格ゆえ、おまえの激情がさらに煽られ、私を求めずにいられなくなるだろう。私はそれが見たいのだ」

 ラシャードはキアラの手首を掴み、彼女の頭上で抑えて再びぴたりと体を寄せた。

「美しき聖女よ。私の身は既に情熱の炎で燃えている。まず、おまえの欲求を満たすが、おまえは自ら炎に飛び込みたいと思わぬうちは私に触れてなならない」

「私はもう炎の中にいます……」

 キアラの声は震えていた。全裸で、手首を頭の上で押さえつけられて体の自由を完全に奪われたことなどこれまでに一度も無かった。

「ああ、だがそれはまだ十分ではない」

 楽しみを滲ませる声でそう言い、同時に彼の手はふっくらと柔らかな乳房を撫で、さらに下

りていった。臍の辺りで指が探るように円を描く。そして、それが恥丘のあわいで指を浅く埋めるように繊細な愛撫を与えただけで、キアラの身体はぶるぶると震えた。滲み出た蜜に指先を浸しながら、浅瀬で指を優しく抜き差しすると、彼女は息を詰まらせ、無意識に体を突っ張らせた。

 執拗に続く、控えめな愛撫に浅い呼吸を繰り返していたキアラは、突然脚の付け根に何かが深く潜り込むのを感じた。長い指でねっとりと掻き混ぜるように粘膜を柔らかく擦られ、そこから伝わる甘美な刺激に体を強ばらせた。

「体の力を抜くのだ。逆らわず、私の動きを受け入れればよい」

 喉で笑ったラシャードはキアラの下腹に何度か口づけを落し、臍の窪みを舌先で嬲るあいだ、愛液で溢れる泉に浸した指をゆっくりと前後に動かす。

「く……っ、ふ………っう……」

 指が内壁を撫でる感触は、最初は決して気持のいいものではなかった。それなのに、自分の中で蠢く指が起す熱が、甘い疼きとなりじわじわと広がって行く。 

 しばらくキアラを辱めていた指はこんこんと溢れる温かな蜜の中で動きを静め、代わりにもう一方の手は再び乳房を包んだ。緩慢に下から円を描くように捏ね上げる。やがて乳房を揉んでいた手は、敏感な場所を全て確かめるように身体中を這い回り、その手の下でキアラは悩ましげに身を悶えさせた。

「……っうん!」

 ラシャードが固く張りつめた乳首を吸い上げた瞬間、キアラの身体が弾けた。赤く色づいた突起に唾液をまぶされ、強く吸い続けられるうちに、痺れるような痛みが快感となって体内に溶けて行く。しかし、その痛みもラシャードに求められている証だと思うと、打ち寄せる喜悦の波はひときわ大きくうねり出す。口に含まれた胸の先端を舌で転がされ、まるでその動きを求めるかのように体が悶えてしまう。キアラは、自然とこぼれ出てしまう自分の甘い声に気がつくと、恥じらいに身を火照らせた。耳元でラシャードが穏やかに囁いた。

「誓うが、私は今まで、これほど一人の女の情慾と愛を目覚めさせるに喜びを感じたことは無い」

 彼がキアラの潤んだ瞳の目尻にキスを落すと、彼女は込み上げる強い感情に肌を粟立たせた。

 ラシャードを感じたい。彼の手を、唇を、体の重みを。そしてそれらの愛撫に自分を失うまで翻弄されたい。

「お願いです……、どうか……」

 その先を続けられず、頬を火照らせたキアラは、情慾に潤んだ瞳でラシャードを見上げた。その困り顔に、彼は笑みを見せた。小さな耳たぶを口に含み、弄ぶ。

「そうだな。だが私はお前を最後まで満足させ、炎を消してしまうつもりは無い。少なくとも今夜はまだ……。だが、私にとってもそれは苦しみだとわかって欲しい。しかしまた、楽しみを延ばす喜びでもあるが」

 滑らかになっていく感触を味わうように、粘膜を撫でていた指が何の前触れも無くぐっと深く潜り込んだ時、キアラは思わず「あぁっ」と声を漏らした。

「期待して止まないのだな。泉は私を迎え入れたいと満ち溢れ、煮えたぎっている」

 ラシャードの左手がキアラの内腿に掛かった時、サヒドに蹂躙されかけた記憶が蘇った。無意識のうちにそこへ力が入り、彼を拒んだ。既に解放されていた両手は、耐えるようにクッションの端を握りしめた。それに気づいたラシャードの表情にさっと厳しさが走った。

「怖いのか……。だが案ずるには及ばない。私はサヒドではない」

 閉じていたキアラの目は、気持を読まれて見開いた。すぐに恥じるように顔を背けると、ラシャードが、自分を汚らわしいと思うのではないかという恐怖に捕らわれた。

「あいつに、ひどく痛め付けられたのか」

「……とても、嫌な気持がしました」

 彼はキアラの不安を解すように、ゆっくりと髪を梳いた。

「おまえはこれから二度とそんな思いはしないはずだ。そして、私には何一つ隠す必要は無い。私はおまえの全てを受け入れたいのだ」

 キアラの体からふっと力が抜けたのを見逃さず、彼は軽く曲げさせた膝を左右に開いた。すぐにでもラシャードの指が差し入れられると思ったキアラは、息を止めて身構えたが、感じたのは秘所をそっと撫で上げた指の感触だけだった。そして、浅い部分を撫でながら、その挿入は滑らかに、深くなっていく。

「まるで花そのものだ。愛撫に花弁はかさを増し、艶やかに色づいて来る。溢れた蜜は何とも言えぬ芳香を放ち、咲き乱れて行く……」

 キアラは恥ずかしさで体を火照らせた。ラシャードを今すぐ抱き寄せ、その胸に顔を埋めて隠したい衝動に駆られたが、彼に触れることはさっき禁じられたばかりだ。

 ラシャードの指の、秘所を抉る緩急を付けた動きに腰が自然に揺れてしまう。相手に触れたいという切望が欲望になり、愛撫をされている場所が指を締め付け、戦慄くのを感じた。頭が朦朧とし、滲む視界の先、開いた脚の付け根に彼がうずくまるのを見た。

「な、なにをされて……」

 彼の吐息が秘裂に掛かった時、キアラは慌てて顔を上げ、王子を見下ろした。

「口づけるのだが……」

 彼の唇が、キアラの花弁を掠めた。

「この花が愛でてくれと待っている。情慾の蕾を探し出し、味わうのだ」

 彼の熱い息が秘裂をくすぐる度に、今にも蜜がとろりと滴り落ちる気がした。

 ラシャードが人差し指と中指で花弁をそっと左右にくつろぐと、淡く色づいた小さな愛芽が顔を出した。迷いなく舌先でそれをすくうように、ぬるりぬるりと転がし始める。

 キアラは艶めいた喘ぎ声を零し、太腿を震わせた。閉じようとする脚を彼は片手で抑え、愛芽を集中して攻め立てた。焦らすように周りをなぞり、舌裏で突起をつるつると擦ると、その柔らかで絶妙な刺激にキアラは激しく喘ぎながら身体を捩らせる。

 彼は時折、熱く疼いている襞の間にも舌を潜り込ませ、くちゅくちゅと中を掻き混ぜては蜜を吸い立てた。

「ふぁ……っ、っあ……、あ………」

 キアラはシーツを握りこみ、ただ与えられる快楽にびくびくと身体を震わせながら耐えた。滑らかでいてざらついた舌腹に愛芽が擦られる度、得体の知れない快感が這い上がって来る。扱かれ続けた淫核は痛いほどにじんじんと脈打っている。それでも、その痛みさえ甘い痺れとなり、身体の隅々に広がって行くとキアラはさらに彼を求めることしか考えられない。

「ら、しゃーどさま………っ」

 突起に軽く歯を当てられ、張りつめた蕾に舌を掠めるように素早くそよがされると、ぴりぴりっと鋭い快感が連続して背筋を走り抜けた。

 キアラの速まる呼吸に煽られるかのように、ラシャードは戦慄く愛芽を唇に挟み、軽く吸いながら首を振り立て、猛然と突起を揺さぶり続けた。

「や……っ、や、や……っ、あ……」

 キアラは小さく喘ぎながら無意識に秘所をラシャードの顔に密着させつつ、次第に身体を強張らせていく。束の間、抑えられている腰から上体がぐぐっと反り上がり、「は………っ、あ、ぁ、はあっ………っあああああ!」とひと際高く嬌声を上げたあと、身体は寝台に沈んだ。

 彼は顎を大きく動かして、まだ奥からとろとろと流れ出る熱い蜜を、時間をかけて味わった。舌全体を押し付けるように舐め上げた花弁も、膣口もひくひくと痙攣していた。

「らしゃーど……、さま……ぁ」

 鼓膜が溶けてしまいそうな甘い声で名を呼ばれ、キアラの脚の間から身体を起こしたラシャードは、被さるようにして彼女の顔を覗き込んだ。

「まだ……続きが……?」

 欲情と期待の揺らぐ眼差しで見上げるキアラに、ラシャードは慎重に返した。

「お前は男の本当の欲望をまだ知らないからな……いや、まさか」

 ラシャードの瞳に陰が射す。

「サヒドと名乗る犬が、おまえに淫らな行為を要求したのか? あれの欲望に触れ、鎮めなくてはならなかったのか?」

「私からあの男に触れたのは、私の爪がその頬に食い込んだ一度きりです。でも……サヒドの奴隷が彼に奉仕していたのは見ました……それは、とても……」

「おぞましかった」

 ラシャードがその先を継ぐと、キアラは当惑しつつも頷いた。

「それなら、なおさら時間をかけて学ばねばな。おまえが私を受け入れないでどうして一つになれよう」

「そ、それは違います。私がご主人様であるラシャード様を受け入れないなんて……」

 キアラは『いやいや』をするようにラシャードの肩に額を擦り付けた。――ラシャード様の腕の中がこんなにも心地いいものだったなんて。キアラは多幸感に包まれ、うっとりと目を閉じた。

 ラシャードはそのままキアラを腕に抱き、彼女の部屋へ連れて行くと寝台に下ろした。額に一つキスを落し、部屋を出て行った。やがて静かな足音が遠ざかると、キアラは口元に微笑みを浮かべたまますぐに眠りに落ちた。幸せのうちに眠れたのは、数日ぶりのことだった。

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