陰謀

 サヒドの前に、満面の笑みをたたえた黒髪の女が跪いている。

「御運に恵まれましたわ。あの手紙がお役に立ったようで光栄です。捕まったレスア人は地下牢に閉じ込められ、娘は宮殿から追い出されて私と同じ後宮へ……。王子は娘への罰はまだ決めかねているようですが、噂によると明日、娘の命を賭けてレスア人と決闘が行われると。……そんな茶番など省いて、さっさと首を落としてしまえばいいものを」

 女は紅い唇を歪めた。それを聞いたサヒドは大きく身を乗り出した。

「決闘だと!? それはどこだ!?」

「カルファの庭です。男たちは朝から闘技場造りに狩り出されております。カルファはいかに王子が囚人にとどめを刺すのか、強い関心をお持ちです。それにより奴隷女に裏切られた王子の名誉は挽回し、その後、女は罰せられるでしょう」

「つまり、ラシャードの宮殿は警備が手薄になる……」

 サヒドはクッションの上からのそりと立ち上がり、忙しく部屋を行き来し始めた。

「いいぞ……! これ以上の好機は無いぞ……! 早急に手を打たねば!」

 女はそんなサヒドを見ながら、思わせぶりに背中に垂れた髪を持ち上げた。

「私には王子がどうしてあの娘を生かしておきたいのかさっぱり分かりません。娘はまるで水を一滴も与えられていないラクダのように痩せていて……。王子が娘にあれだけ寵愛を向けるなど、後宮ではとても信じられない話ですわ。しかし、じきに娘は追い出され、誰からも忘れ去られる運命……」

「おまえの戯れ言など聞きたくないわ!」

 サヒドは立ち止まり、女を睨みつけた。

「おまえはその憎しみを自制することを覚えろ! そんな態度では、おまえが一枚噛んでると自ら暴露しているようなものだ! いいか、特にエギュンとアズーラには気をつけろ。ダナニヤはアズーラには一目おいている。あやつが娘の無実を納得させれば、勘のいいラシャードだ。疑いはまず我々にかかるだろう」

 近づいて来たサヒドにいきなり肩を掴まれ、女は身を強張らせた。

「よく聞け。確か宦官の一人はおまえの意のままだと言ったな? ならばそいつにこれを持たせろ。飲ませれば意識を失う薬だ。だが量を間違えれば死に至る。看守たちに与え、我々が宮殿に入る便宜を計るのだ」 

 サヒドは部屋の隅の戸棚から今しがた取り出した小瓶を、女をの手に握らせた。そして、敵意にぎらついた目で女の顔を覗き込む。

「だが、くれぐれも妙な気を起こすな? おまえの嫉妬だかなんだか知らんが、これで女を殺すことがあれば、おまえの命も無いと思え。おれは女を生きたまま手に入れたい。わかったな?」

 女は返事もせず、ただ何度も頷くと小瓶を胸の深い谷間に押し込んだ。

  *

 翌日、アズーラはキアラのいる部屋に入ると、そのたおやかな体を腕に抱き、子供をあやすように優しく揺らした。

「哀れな私のキアラ様。一体何ということをされたのです?」

 キアラはアズーラにしがみつき、涙に濡れた顔を無意識にその温かな胸に擦り付けた。

「王子は……ラシャード様はお元気? 今どこに? また戦地へ行ってしまわれた?」

「いいえ、宮殿におりますよ」

「ラシャード様は私が嘘をついてるとお思いなのね」

 キアラは啜り上げた。

「でも私は一度としてそんな気持になったことさえ無いのに……」

「承知しております。このアズーラは全て承知しておりますよ。しかし、奴隷のあなたが他の男と、成人した男性と人目を忍んで言葉を交わしただけで、この国では不貞の罪で罰せられる理由に十分なのです」 

「それじゃあ、私はただ買われた身分というだけで他の男性と話してはいけないの?」

「ラシャード様がご現存のうちは、そうですよ」

「でも、そんな……!」

「それがこの国のしきたりです」

 アズーラはキアラの言葉を遮った。

「ラシャード王子は……ここだけの話ですが……、嫉妬に狂い、何も考えられなくなってしまった一人の男です。その王子は生を授けられてからずっと、この国の慣習に倣って暮らしているのです。つまり、ラシャード様から見放されればキアラ様が罰を受けることを意味します」 

「私はもう罰せられたのではないの? ラシャード様のお側にいられないことが罰ではないの?」

 キアラの目尻に涙が盛り上がる。

「まだお命があるだけ幸せだと思ってください。ラシャード様のおじいさまはそれは厳しいお方でした。妹君が男と隠れて会っているのを知るや否や、生きながらに棺にいれ、土に埋めてしまわれました」

「なんて人でなし!」

「この国ではそれが当たり前なのです。それに妹君も相手の男も既婚者だったのですから、それだけの罰を受けるのは当然でした」

 アズーラはキアラの手を取り、諭すように言った。

「ラシャード王子はご自分の地位を守るためだけに、そのような残忍な行為に及ばないお方です。しかし、愛に盲目になり、その愛に裏切られたと信じ込んでいるただの男となれば……。キアラ様が会われたのが幼馴染みでなければ、今頃お二人の命は無かったでしょう。王子がまだ迷われているだけ、寛容な方だと感謝しなければいけません」

「そんなの、おかしいわ」

 キアラは力なく俯いた。

「それが法なのです」

「私はずっと後宮に住むの? もう二度と王子に呼ばれず、会って全てを話し、彼の許しを得る機会も与えられないまま?」

 寂しげに自分を見上げるキアラに侍女は目を瞬かせた。

「許しとは……、かつてのキアラ様のお部屋、お庭を取り戻したい。そういう意味ですか? ここにいる女たちが受けられないような待遇と……」

「いいえ、まず何を置いてもエニアスのために」

 キアラは溢れる感情に息を詰まらせ、声を絞り出した。 

「ラシャード様ともう二度とお会いすることもお話することも出来ないなら、富なんて何の意味も無いわ。私は何のため全てを投げ出し、レスアを捨てて来たのかしら。愛せない男との結婚から逃げるため? そして今、運命の人が……自分自身より愛しくてならない人が現れたというのに、私は彼を失ってしまうの? 彼の誤解が解けないために?」

「キアラ様は……、レスアから逃げて来たのですか?」

 初めて聞く話に、今度はアズーラが驚きに息をのむ番だった。

「ええ。結婚式の三日前に。そんな私を神は罰したんだわ。旅の途中で山賊に捕まり、身元が割れないようにこんな遠くまで連れて来られて奴隷商に売られたのよ」

「婚約者の方は? 追って来られなかったのですか?」

「いいえ、その代わりエニアスが。今、牢に囚われている私の乳兄弟の。彼のお母様は私の母が亡くなってから、私にお乳を与えてくれたの。彼とは二つしか違わないのよ。そんなエニアスが迎えに来てくれたというのに、私は彼と逃げなかった。ラシャード様の愛を置き去りにして、どうして他へ行けるというの?」

 キアラはアズーラの手を強く握った。

「ねえ、エニアスはまだ生きてるわよね!?」

「もちろん……もちろんですとも。部屋と食事を与えられております」

 キアラを憐れむ思いから、アズーラは明日、エニアスの身に何が起こるのか彼女に伝えることなど出来なかった。明日の決闘でキアラは愛する二人の男のうち、どちらかを失う運命なのだ。

「かわいそうなキアラ様……しかし、望みは捨ててはいけませんよ……」

 アズーラは、自分に縋り付く小さな背中をずっとさすり続けた。

「さ、早く! 早く来るのだ!」

 アズーラが垂れ幕の後ろから部屋に滑り込んで来た時、ダナニヤは手を振って急き立てた。

「おぬしは娘と話したのか?」

「はい。思った以上の収穫でございました」

 頷いたアズーラは、顔を上げる寸前にそっと目尻を拭った。

「あの哀れな娘は、すっかりやつれ果てております。食事にほとんど手も付けず、部屋にこもったきり庭を眺めております。私の口からとても明日の決闘の話をすることは出来ませんでした」

「娘は罰に怯えているのではないか?」

 アズーラは正面のダナニヤをしっかりと見据えた。

「罰への恐れというよりも……、ラシャード様に二度と会えないのではと、恐れております。それから、ダナニヤ様にはもう一つお耳に入れたいことが。あの娘はレスアで意に沿わぬ結婚をさせられそうになり、国を逃げたところで山賊に捕まり、奴隷商の手に渡ったと話しております。そして今は、ラシャード様のいらっしゃる宮殿が自分の故郷だと」

 アズーラは一息に言うと、微笑んだ。

「ダナニヤ様、私はあの娘が真実を語っていると、イルディン神に誓います」

 ダナニヤは何かを推し量るようにアズーラを見ていたが、一つ溜め息をついた。耳飾りについていた金の鈴がちりんと微かな音を立てた。

「ラシャードはすっかりふさぎ込んでしまってな。何も聞き出せなかった。しかし、息子は娘を手放したことを後悔している。それは確かじゃ。そして、なんとか名誉を失わず、娘を許す方法は無いかと苦しんでおる」

 ダナニヤは思い出したようにほくそ笑んだ。

「おまえにラシャードの顔を見せてやりたかった。娘への処罰を話し始めたら、あれの顔はみるみるうちに青くなったわ。そして私を悪魔かなにかのような目で見よった……」

「王子は名誉をお守りになると、決意を固められたのですか?」

「ラシャードは己の敵の命を奪うと決めたまで」

 ダナニヤの、細く整えられた眉がきゅっと寄った。

「最愛の息子から英気を奪い、苦しませたレスアの男に同情などない。あの男さえ来なければ王子は今頃娘を腕に抱き、幸せを噛み締めていたはずなのだ」

 言葉は容赦がなかったが、それでもこの国一の美女の顔が懊悩に曇るのを、アズーラはやるせない気持で見ていた。

 翌朝、朝食を終えたラシャードが父の宮殿を訪れると、幾つかある中庭の一つは、ぐるりと観客席に囲まれた闘技場としてすっかり造り替えられていた。

 レスア人を殺す場を人の目に触れさせたくなかったラシャードとしては、父の呼んだ人々が次第に集まってくるのを見るとやり場の無い怒りを覚えた。

 その時、彼はダナニヤが手首、足首に付けた金の輪を鳴らしながら近づいてくるのに気がついた。

「ああ、許しておくれ。私のラシャード。こんなはずではなかったのだ。しかし、おまえの父上を、カルファを止められるものは誰もいないと、それはわかるだろう? だが、皆はおまえの名誉が守られる瞬間を見届ける証人じゃ。多ければ多いほどよかろう。まあ、おまえのおかげでサヒドもあの噂の屈辱を塗り潰されるわけだが」

 ラシャードの眉がぴくりとつり上がった。

「あの噂が広がったのは娘のせいではありません。そもそもの原因はサヒドです。自業自得です」

 言い捨て、ラシャードはマントの裾を翻してエニアスが待っている庭へ階段を降りて行った。エニアス、は客席と闘技場を隔てている壁沿いで二人の看守に挟まれ立っていた。手首を背中で縛られたエニアスは、目の前に立ったらシャードを無表情で見た。

「心の準備はできたのか? 私は名誉のために闘うわけではない。弱い者を倒す、それだけだ」

「あなたこそ、一太刀で事切れぬよう相当に気をつけた方がよいかと」

 ここ数日、十分な食事を与えられたエニアスの血色の良い顔に、嘲笑が浮かんだ。

 闘技場を囲む席には、今やほとんど人で埋まっていた。正面の、一段高い玉座にはいつの間にかカルファと、アズーラを隣に控えさせたダナニヤが座っている。

「民の前で怖じ気づいたのか?」

「そんな口がきけるのも今のうちだ」

 ラシャードは落ち着き払って言った。

「男の縄を解き、武器を持ってこい」

 ラシャードは濃紺の上着を脱ぐと、後ろにいた奴隷に渡した。エニアスも拘束が解けると、汚れて所々裂けていたシャツを脱ぎ捨てた。彼は手枷に傷ついた手首の具合を確かめるようにくるくる回し、体を伸ばした。

 エニアスはラシャードよりやや背が低かったが、その身体は、彼の職業が文官だと思えないほどよく鍛えられていた。腕と胸の精悍な筋肉が特に目立つ。

 闘技場は人々の熱気とざわめきに溢れていたが、奴隷が布に乗せた武器を掲げて闘技場を横切って来ると、次第に声は鎮まって行った。代わりにドラの音が空気を揺るがす。

「好きな方を選べ。どちらも最高のものだ」

 奴隷が恭しく胸の高さにかざした二本の長剣を目の前にし、エニアスは交互に取り上げて何度かそれで空を切った。

「なかなかだな。軽いが刃は強い。これにしよう」

 ラシャードも残された剣を握ると、二人は申し合わせたように闘技場の中央に向かった。そこで向かい合い、適当な距離を保った。

「どこからでも来るが良い」

 軽く構えたラシャードは口の端を上げた。

「待て! 僕が勝ったとして、誰が僕たちの身の安全を保証できる? 自由にすると言う約束は?」

「私の言葉はカルファと家臣に伝えてある。おまえと私のキ……奴隷を必ず国境まで連れて行くと」

「僕が負けたらキアラはどうなるのだ。彼女は何もしていないのだから、罰を受ける必要は無いはずだ!」

「私は私が正しいと思うやり方で奴隷を扱う」

 エニアスの情熱にラシャードの冷静が返した。

御託(ごたく)を並べて死の瞬間を延ばす気か? 始めるぞ!」

 エニアスの瞳に、怒りの炎が大きく揺らいだ瞬間、彼は剣を打ち下ろしていた。

 人々の歓声が、空気をどよめかせた。

 ラシャードはそれを素早く受け流したが、間を開けず次の刃が襲いかかる。

(おもしろい)

 エニアスはラシャードから見てもなかなかの優男だったが、その上品な物腰を裏切ってかなり熟練した剣士だった。ラシャードの優れた剣の技術を持っても、とどめを刺すには少し時間を要しそうだ。もはや観客のことなど既に彼の視界にはなかった。それだけ、自分に次々と刃を打ち下ろし、突いてくる男だけに集中していた。

 しばらく撃ち合っていた相手の攻撃は全く衰える兆しを見せなかったが、そろそろ反撃に出ようとラシャードは足に重心を掛け、地を踏んだ。

 その刹那、女の鋭い悲鳴が空気を裂いた。

 反射的に、声のした方へ身体が向いた。その一瞬の隙をつき、目の前に新たに襲いかかって来た敵の一撃を寸での所で弾き返した。

 突然現れた敵は、顔まで布で覆った全身黒装束で、それが刺客であるのは瞭然だった。

 男は既に次の攻撃のために刃を振り上げていたが、それが下ろされるよりも先にラシャードは相手にん足払いを掛けた。その間にもさらに二人の刺客が闘技場に飛び込み、ラシャードへじりじりと詰め寄っていた。

 刺客が声を上げて地を蹴ったのと、ラシャードとエニアスが飛び出したのは同時だった。ほとんど同じ瞬間に二本の剣は真っ向から切り掛かって来た刺客の身体を斬りつけた。倒れた男たちの身体から流れる血がみるみる広がり、地面を色濃く染めて行く。

 ラシャードを最初に襲った男は、既にカルファの兵の槍に囲まれていた。ラシャードは刺客を正面から見据え、鋭く言った。

「こいつは生かしておけ!」

 男が膝から崩れると、兵は飛びかかって瞬時に縛り上げてしまった。ラシャードは、隣で血の付いた刃を軽く払っているエニアスに向いた。

「なぜ私を助けた? 刺客の目的は私だった。黙って見ていればおまえの手を汚さずにおまえの目的も果たせただろうに」

「そうしていたら、僕は自分を卑怯者と認めることになる」

 ラシャードは小さく肩をすくめた。

「あの娘を渡すつもりは無いが、おまえに命は与えよう。後日再び闘えるようにな」

 エニアスは、ラシャードが悪戯っぽく笑うのに不思議と嫌悪は感じなかった。そして、ラシャードは顔の布を取り払われた刺客に近づいた。

「おまえはサヒドの兵の家臣の一人だな。顔に覚えがあるぞ。おまえは私を殺すつもりだったのか」

 地面に押さえ付けられている男は、さらに兵士に伸し掛かられ、呻いた。

「私は……、命令に従った、までです……」

 男の首筋で、ゆっくり下りて来たラシャードの剣が光る。

「どうしてサヒドは私を殺そうとした? 言え。言わぬと頭を落すぞ」

「私が話してこの場で助かっても、それがサヒド様のお耳に入れば殺される。いずれにせよ死ぬ運命なのです。ならば今ここで……」  

「もし私がおまえを生かすと言ったらどうだ? そうだな、お前が意識を失うまでゆっくりと、少しずつその体の肉を切り取っていくというのは? 何日も時間をかけて骨から削ぎ落とし、それをおまえの目の前に並べるのもいいだろう」

 そう言ったとたん、静かだった客席から「殺せ」と声がした。そしてまた別の方からも「殺せ」と、今度は複数の声が上がった。それはだんだん重なっていき、やがて「殺せ」の大合唱となった。

 男の顔がたちまち地面と同じ色になる。ラシャードは片手を上げて観客を黙らせた。

「さあ! 話すのだ!」

「ふ……復讐です。ラシャード様が赤毛の奴隷を取り上げたことを、サヒド様はまだ根に持っておいでで……」

「あやつは十分過ぎる金を受け取ったぞ!」

「あの方はまだあの奴隷を諦めきれぬのです。奴隷を楽しもうとすれば、ラシャード様がその前に立ちはだかっておられるので……」

「だからあの犬は私の息の根を止めようと!? 私の奴隷を寝取るために!?」

 ラシャードの黒い瞳は怒りに濃さを増した。

「それがサヒド様の計画で……決闘の間、ラシャード様の宮殿へ……」

 ラシャードは男が言い終わらないうちに、兵を押し退け、足早で歩き出していた。そして、そのあとをエニアスが続いたが、誰もそれを止める者はいなかった。背中で、何度も自分の名を呼ぶ父の声を聞いたが、彼はそれを無視して先を急いだ。

 今ならサヒドの隠謀が手に取るようだった。同時に、今までそれに気がつかなかった自分の愚かさを恨んだ。

(あの薄汚い犬が何かを仕掛けて来るとすれば、今日ほど格好の日は無いではないか!) 

 それにしてもあのサヒドという男、あの獣の執拗さたるや。汚れ切った名誉にさらに泥を塗られた恨みを晴らそうと、キアラをさんざん手篭めにした挙げ句、殺そうとしている。それを想像しただけで、腸が煮えくり返るようだった。無意識に腰に下げた剣の柄を強く握りしめていた。そして、走り出していた。回廊を抜け、正門に開けた庭には宦官が馬を引いて立っていた。ラシャードがそのうちの一頭に飛び乗り、馬の腹に踵を入れようとしたその時、エニアスが手綱に縋り付いた。

「邪魔をするな、レスア人!」

「僕も連れて行ってくれ! 頼む! 妹に危険が迫ってるのに、ここにはいられない!」

「おまえの妹だと!?」

 ほとんどエニアスを蹴飛ばしそうになっていた脚の力を緩め、そこに縋る必死な顔を見下ろした。

「そうだ! 僕の乳兄弟だ。それ以上の関係はないと誓う! 僕が婚約者だと嘘をつけば、きっとあなたは決闘を持ち込むと思ったんだ! それしか残された道はなかった!」

「愚か者!」

 ラシャードの声に空気が震えた。

「その嘘におまえは自ら殺されるところだったのだぞ! だが、時間がない! 来い!」

 エニアスは自分に伸ばされた手をしっかと掴み、ラシャードの後ろに飛び乗った。

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