奴隷

 石を積み重ね、隙間を漆喰で埋めただけの簡素な奴隷商の小屋の部屋では、粗末なむしろに少女や若い女たちが身を寄せ合いながら座っていた。

 天井近くの窓は、人の頭がやっと通れるほどで、そのうえ一本の鉄棒が中心に通っている。外から聞こえるのは耳慣れない言葉で交わされる異国の喧噪(けんそう)。だが、その特徴ある発音で、ジュナイ語だと見当がついた。

(本当にここがジュナイだとしたら……。私はとんでもない場所に連れてこられたわ……)

 じめじめした部屋の角に座ったキアラは、隣からすすり泣きが聞こえてくると、俯いた顔を掌で隠している娘ににじり寄り、小さな肩を抱いた。

「泣かないで、イーダ。大丈夫。きっと神様が助けてくださるわ……」

「でも……、でも、怖い……」

 いやいや、と頭を振ってイーダは涙に濡れた顔を上げた。彼女は、キアラが連れてこられる二日前からここにいると話した。この貴族の娘は、休暇で訪れていた屋敷近くの森を散策中、付き人を殺され、その場で捕らえられて奴隷商に売られたのだった。

「きっと、探しにきたご家族や、優しい方が現れてあなたをここから出してくれるわ。望みを捨てちゃ駄目」

「無理よ……。私はあなたみたいに綺麗じゃないもの。燃えるような美しい赤い髪や宝石のような緑の瞳、お砂糖のように真っ白な肌……。そのどれ一つも私にはない! それに、これを見たら誰だって目を背けるわ……」

 イーダは、他の奴隷が着ているのと同じ薄いシャツの袖を肘の上まで捲ってみせた。右ひじの辺りから肩の方まで醜く肌がただれている。

「こんな火傷の跡がある娘なんて、悪魔でも触りたくないに決まってる……」

 キアラはその肌のいびつな盛り上がりを指先でゆっくり、何度も繰り返し撫でた。

「あなたはとても美しいわ。明るい金色の髪、磁器のように白い肌。きっと元気になれば頬は薔薇色になるのでしょうね。あなたの滑らかな体は、男性を虜にしてしまうわ。この痕も目に入らないくらいに……」

 彼女がまだ慰め終わらないうちに、外から鉄鍋の底を激しく叩く音が聞こえて来た。二人の少女は固く身を寄せ合い、手を握り合った。――商売の時間だ。

 束の間、乱暴に扉が開き、急に明るくなった部屋で二人は目を細めた。

「そこのおまえとおまえ、出て来い!」

 小柄で痩せた奴隷商はターバンの下の眉間の皺を深めて言った。持った鞭の先はキアラとイーダを交互に指している。イーダの手が震えていたが、キアラは勇気づけるようにそれを強く握り、自分と一緒に立ち上がらせた。ぐずぐずしていれば、鞭の餌食になる。

 開け放されたドアから出る時、「さっさとしろ」と後ろから男に突き飛ばされた。キアラは振り返り、キッと男を睨みつけた。

「汚い手で触らないで! 私を誘拐して勝手に売りつけようなんて卑劣にも程があるわ!」

 奴隷商人は彼女の言葉を理解出来ずとも、その剣幕に無意識に半身ほど退いたが、木箱をひっくり返しただけのお粗末な壇上へ二人を追い立てる手は止めなかった。

 彼女たちが立っている木箱の前を柵がぐるりと囲み、その前には、人だかりが出来ていた。

 そのほとんどが男たちで、貴族のような立派な身なりをした者から、薄汚れたカンドーラを着た一般市民の野次馬も入り乱れ、わめき合っている。そんな人垣を見て、さらに怯えたイーダはキアラの身体に縋り付いた。キアラは彼女を守るように肩を抱き、胸を張って男たちに挑むように顎を上げた。ここで自分が怯えを見せれば、イーダは生きる力さえ失ってしまうだろう。

「五百ディラ!」

 人の波から声が上がった。水を打ったように辺りが静まり返るも束の間、再びどよめきがキアラたちに打ち寄せる。キアラはその強く、凛とした声の主の方へ顔を向けた。

 しかし、強い日差しに目が眩み、立ち去ろうと背を向けたその男の純白の頭布(ゴトラの端が翻るのが見えただけで、すぐにその広い背中は人ごみに紛れていった。

「赤毛に七百ディラ!」

 再び上がった荒い声音に、柵のすぐ後ろに立つ男と目が合った。

 からし色の頭布と、揃いの色のカンドーラは汚れも皺も無く、生地の張りで上等なものと分かる。しかし、それを着た人物は一目見ただけで嫌悪がわくほどの容姿だった。 

 贅沢な生活をしているのだろう、たっぷり肥えた身体の上に首は顎のたるんだ肉、頭に白いゴトラを巻いた丸顔。太い眉の下にぎらぎらと欲望を露にした目はキアラを貪るように見上げていた。男たちの野次は、声の主がわかるや否やぱたりと聞こえなくなった。

 奴隷商人は静まった場をぐるりと見渡すと、高い声を上げた。

「それではこの奴隷はサヒド様へ!」

 ガッカリと肩を落とすキアラの腕を、骨張った奴隷商の手が掴んで無理矢理壇から降ろそうとした。それを振りほどきながらキアラは肩越しにイーダに囁いた。

「希望を失わないで。神のご加護があるわ……。主よ、我々を憐れみたまえ……」

 キアラはサヒドの乗った籠の後ろを他の奴隷たちとともに歩かされて河沿いをしばらく行き、豪奢な宮殿に着くと絨毯を敷き詰められた豪奢な広間の中央に立たされた。

「いいか、これからお前はおれをご主人様、もしくはサヒド様と呼べ」

「言葉が分からないわ」

 キアラは故郷のレスア語で答えた。

「そうか。お前はおれの言うことが分からんのか」

 サヒドは笑った。彼の発した言葉はレスア語だったが、その強い訛に同じ言葉だと一瞬気がつかなかった。

「あの奴隷商が正直者かそうでないか、今すぐ確かめてやろう。おれは新鮮な肉が大好きでな。そう、まだ男を知ぬ体が。それ以上に興奮するものはないからな。おい、もっとこっちへ来い」

 キアラが立ちすくんでいると、背後から女奴隷に前に押しやられた。その拍子にキアラがつんのめるのを見て、サヒドの下卑た笑い声が部屋に反響する。

「恥ずかしいのだな? おれの子ヤギは! だがそれも始めのうちだ。すぐに他の奴隷どもとおれの寝室を競い合うことになるだろう! おい、この薄汚い服を脱がせろ!」

「や、やめて……!」

 サヒドが顎をしゃくると同時に、キアラの横にいた奴隷が、一人は抵抗するキアラの動きを封じ、もう一人は粗末なシャツを素早く脱がせた。サヒドの目の前に、華奢なキアラの一糸まとわぬ姿が晒される。彼女は女奴隷の拘束を振り払い、腕で胸を隠した。

「ほほう……」

 だが、近づいて来たサヒドに、無理矢理腕の下から手を差し入れられ、乳房を掴まれる。

「やああっ!」

 身を捩るキアラの肩に太い指が食い込み、手は荒く柔肉を揉みしだいた。

「小さくはないが、期待ほど大きくもないな……。だが、弾力はなかなかだ。肌も吸い付いてくる……それなりに楽しめそうだな。ああ、おまえそっくりな赤毛の子供ができ、おれがそいつをたっぷり可愛がってやる日も遠くないだろう!」

 サヒドは舌なめずりをし、再びクッションの山の戻ると、どっかと腰を下ろした。

「こっちへこい! そこに座るんだ」

 今度は逞しい宦官に引きずられ、彼の前に突き出されたキアラの身体を彼は無骨な手で撫で回し、分厚い唇を首筋に押しつけ、舐め回した。おぞましさに鳥肌がブワッと立つ。

 サヒドの片手が片脚を押さえ、毛の生えた太い指が秘裂を覆う淡い草むらに伸びてきた時、キアラは拘束から逃れようと激しくもがいた。

「大人しくしてろ!」

「やめて!」

 宦官にもう一方の脚を抑えられ、その中心にサヒドの指がねじ込まれる。無理矢理侵入した異物に、引き攣れるような痛みを感じて呻いた。

「狭いな」

 サヒドは満足そうに唇を歪めた。

「奴隷商の言ったことは本当だったようだ。だが、もう少しおれに懐いてもらわんとな。さあ、おれに触ってその気にさせてみろ」

 彼は衣の裾を上げ、己のものを見せつけるように腰を軽く突き上げた。その脚の陰翳(いんえい)には、浅黒い何かがだらりと伸びていた。初めて目にする男の象徴に、キアラは脅威を感じて目を逸らそうとしたが、身体が金縛りにあったように動かない。

 そんなキアラにサヒドは再び嘲笑を投げる。

「随分と臆病な子猫のようだ。……だがそれもなかなかそそられる。いいか、おまえはすでにおれのものだ。その羞恥もすぐに蹴散らしてやる。おれの生きているうちは、おまえに自由は無いと分からせてやる! そこの女、手本を見せてやれ!」

 宦官はサヒドの前からキアラを脇にどかせた。入れ替わるようにして呼ばれた女奴隷が、主人の前に両膝を着く。

 キアラが身体を強張らせていると、彼女は何の躊躇いもなくサヒドの脚の間にうずくまり、くたりとした肉塊を手で包んでその先端に唇を押し付けた。キアラは驚きと恐怖に目を見張った。その間にも女は伸ばした舌をぴたりとそれに這わせ、下から上へ、またその逆に顔を動かした。片手で陰嚢を軽く揺すりながら、先端でくるくると舌を躍らせる。何度かそれを繰り返していた女は、それが頭をもたげ始めると、口を開けてぱくりと塊全体を咥え込んだ。そして、彼女が間髪を入れず、小刻みに前後に顔を揺り動かすのを見ると、キアラは思わず息を呑んだ。

 そうしているうちにも、女奴隷の努力が形になり始めると、キアラの目は自然と見開き、「それ」に釘付けになった。

 直立した肉茎は、おぞましいの一言に尽きた。血管を浮き上がらせた短く、太い幹の先端は赤黒く濡れ光り、見ているだけで嫌悪を催すが、どうしても視線を外せない。

 サヒドは手を伸ばし、女の乳房を揉んだ。男の呻き声と、女の口から漏れるじゅるじゅるっという水音だけが淫猥に部屋に響く。

「ああ……いいぞ………続けろ…………そのまま、続けろ……」

 うっとりと目を閉じた男の、荒い息を吐き出す歪んだ分厚い唇は蠢く芋虫のようだ。

「もっと……、深く……。顎を使え…………。ああ、そうだ。ああ、いい。やめろ……、十分だ……十分だ!」

 突然彼は目を開き、奴隷の栗色の髪を掴んで顔を引きはがした。

「十分だと言っただろう!」

 男の目はキアラを射抜いた。

「準備はできたぞ。こいつで今すぐおまえを味わってやる。来い!」

 宦官がキアラの腕を引いて立ち上がらせるのに、彼女は全力で抗った。だが、それは全く無駄だった。後ろ手に拘束されたままサヒドの前に再び突き出される。

「赤毛よ、おまえに必要なものをくれてやる。それも一度と言わず何度も渾身の力を込めてな。おまえが泣きながらおれの恩恵を懇願するまで続けてやる!」

 キアラは最後のありったけの力を込め、掴まれていた手を振りほどいた。そしてその瞬間、自由になった手は自分のすぐ側に迫っている醜い顔を斜めに引っ掻いていた。 反射的に頰に手を当て、指先に血がついているのを見たサヒドは、高い悲鳴を一声上げると同時に、キアラの頬を強く打った。その勢いでキアラはあっけなく床に転がった。

「悪魔め! おまえのしたことを後悔するといい!」

 キアラは顎から首に掛けて何か温かいものが伝うのを感じたが、それが切れた唇から流れた血だと気づくのにやや時間がかかった。

「まずこの女に二百回、鞭打ちだ」

 サヒドは傷ついた頬を手で押さえたまま、キアラを罵倒し続けた。

「そいつが気絶したら水を掛けろ。意識が戻ってから打つのだ。そうでないと処刑の意味をなさんからな! 何日か要するだろうが、構わん。肉が骨から剥がれるまで打ち続けろ! くたばったら頭を切り離し、おれのところへ持ってこい。槍に刺して、見せしめにしてやる。おれに逆らうとどうなるか、奴隷たちに一目で分かるようにな!」

 キアラを支えていた奴隷はその体を抱え直し、踵を返した。

「だが、明日からだ!」

 サヒドは最後に吠えた。

 ネズミが部屋の隅を走る気配を感じ、キアラは閉じ込められた部屋の、黴臭い固い寝台にうずくまっていた膝をさらに抱きしめた。

——鞭打ち二百回……。私はいくつまで数えられるだろう……。

――でも、絶対にめそめそ泣いたりなんかしない。あいつを楽しませやしない。

 頬の痛みに息を詰まらせながら自分に言い聞かせるように呟いた。そして胸の前で祈るように手を合わせると目を閉じた。

 * * 

 ぱしっ!

「……っくぅ!」

 鞭が空を切り、キアラのむき出しの背に燃えるような痛みを刻み付ける度、噛み締めた歯の間から呻きが漏れた。

 陽が昇ると早々に、キアラはこの部屋に連れて来られた。窓一つ無いそこには、松明がメラメラと燃え、クッションに埋もれているサヒドや、仕える宦官たちの影を妖しく揺らしていた。起きてから水を一杯しか与えられていないのに、キアラの全身は滲んだ汗と流れた血で光っていた。

 背中が燃えるように熱い。打たれたのはもう何回目だろう。二百回まであとどれだけ打たれるのだろう。柱に掛けられた手枷の鎖を握りこみ、キアラはただ耐えていた。手枷に傷ついた手首には乾いた血がこびりついている。

 キアラは、サヒドがどんな種類の男かよくわかっていた。歪んだ自尊心を持つ男は、自分が泣いて許しを乞うのを待っている。泣いて床に額を擦り付け、あのおぞましい肉の塊を口に含ませてくれと哀願するのを待っているのだ。それまでは、たとえ二百回鞭打たれたとしても、この部屋から出ることは出来ないだろう。

 もし、出られるとしたら、それは魂の抜けた身体だ。

(絶対に泣かないわ。泣けばあの男を悦ばせるだけ……)

 パシ!

「っう……!!」

 床に膝を着いた身体が鞭を受けてしなる。前に垂れた赤い髪は、顔に首に、乳房に張り付いてまるで身体中から血が流れているようにも見えた。頭に霞がかかったように思考が鈍麻していく。このまま意識を失えば、サヒドはもしかしたら許してくれるだろうか。

 パシッ!

 その考えを打ち砕くように、鞭の先が柔らかな肌に食い込んだ。

「あぁっ!」

 がくん、と頭が垂れる。

「やめて……」

 キアラは拳が白くなるまで強く鎖を握りしめた。鞭が襲いかかる度に息を詰まらせる。もう限界だった。打たれれば、打たれた方へゆらりゆらりと揺れる身体から力が徐々に抜けていくのがわかった。脈がだんだん弱くなっていくような気がした。鎖を握っていた手が開き、ずるりと身体が崩れた。

(もう、だめ――)

 朦朧とする意識が擦り切れ、気を失いかけた時、「止めろ!」と低い声が部屋に響くのを聞いた。痛みから逃れるために無意識に遮断した五感に、直に響くような力強い、凛としたその声はどこか聞き覚えがあった。

 ぱしっ!

 それでも振って来た鞭は背中に新たな赤い筋を刻んだ。「止めろと言ったのだ!」声はさらに近くなる。ひゅん、と宙に唸った鞭の音にキアラは最後の力を振り絞って声を押し出した。

「や、め……て…………」

 背中に熱い衝撃は走らず、代わりに体に回る力強い二本の腕を感じた。次の瞬間には抱き上げられ、開いた背中の傷にそっと触れられるのがわかった。温かい……。人の温もりを感じた直後、キアラは意識を手放した。

次へ >     目次へ